最近、恋愛ものの主人公が煮え切らない態度を取ってると、「ヘタレ」と非難を飛ばすのが流行っておるようです。
もういい歳になってる私には、高校生くらいの恋愛ものなんて煮え切らないところが楽しみどころじゃないのかな、と思うのですが、どうもそれが鬱陶しいらしい。
私にはわからない気持ちなので、若者の心を理解するべく、色々勝手に想像してみました。
ヘタレコールは、アニメやラノベにでも見かけますが、特に顕著なのはエロゲだという印象があります。
「ゼロの使い魔」で才人ヘタレといっても別に、せいぜいゼロ魔を嫌う理由になる程度で、「だからゼロ魔は駄作」と作品自体を全否定するかのような勢いはないと思います。
しかし「ToHeart2」の河野貴明ヘタレコールは、ほんとに作品自体をその一言で否定してるような勢いに感じます。この辺は量的質的に根拠出せといわれても困るとこですけれど、まあ、そうだということにしておいてもらって。
これは原因を想像するに、ノベル系のゲームってのが、他のメディア以上に一人称的に、自己投影・感情移入して読んでしまえる表現手法だからではないかなと。
ある程度とはいえ主人公の行動にプレイヤーが関与できて、画面も一人称、ヒロインがこっちむいて話す姿と景色だけ描かれてるわけですし。
だから、主人公がヘタレだと、そのヘタレと自分をイコールで結ばなければいけない。
そこのところが我慢ならんのではないか、と、想像するところです。
同じリーフでも、「雫」なんてのは思いっきり中二病丸出しのヘタレに自己投影させる作品でしたけれど、中二病は経験する人も多く、真っ最中の人も過去の人も、そういう自分を内心ちょっと美化してるもんだから、自己投影するにも抵抗がない。
一方、TH2の河野貴明は、「女にモテまくってるくせに女苦手とか言って逃げる」という、現実で経験しづらいシチュエーションでヘタレまくってるもんだから、なかなかぴったりプレイヤーと重ならない。
それで「おまえここはガーっといってさっさと押し倒すとこだ」と思ってるところで、貴明がへたれかます、というズレがイライラを生む。自己投影しづらい。
一方、自己投影なんかしたくないような主人公がおります。
私はアリスソフトの「ランス」が心底嫌いで、あの主人公に自己投影するどころか、客観的に見てるつもりでも気持ち悪くてたまらない。「ぷろすちゅーでんとG」でも同じ目に遭って、まあ挙げるタイトルが古いことからもわかるとおり、アリスソフトにすんごい苦手意識あります。
これというのもやっぱり、自然と自己投影させてしまうシステムゆえのものでもあるんだろうなぁ。
ランスはよく売れてるゲームだし、ランスがキモくていやだという人も私以外には見かけませんが、まったく不思議です。あんなのに自己投影して平気な人ばっかりなんでしょうか。
オタクってもっと心優しく真面目で紳士な男たちの集団だと思っていたのに、あれが耐えられないのが私だけだなんて。私だけが紳士だったのか。困ったものだなぁ。
貴明は確かに、自己投影しづらいシチュエーションにいるとは思うんですが、私には別に、自己投影したくもないほど憎いとか、気持ち悪いとは思えなかった。ランスなんかよりよっぽどいい。
多分、貴明へたれコールをやってる人には、ヘタレだとバッシングするべき相手だと思えるんでしょうけれど、ここがわからんな。なんだろう。
頼りない弱そうな奴ではあると思うけれど、弱そうな奴を見かけて「非難しよう」と思ってしまうのは優しさが足りないのではないか。
ところで「人の弱さ」というのは、昔から文学でよく扱われるテーマですけれど、それを「弱い奴は死ね」で片付けてしまうと身も蓋もないわけですよ。
例えば太宰治なんて、弱さを書きまくってきた人ですけれど、それにしたって「俺は弱くて辛い」と叫ぶように書いた小説もあれば、「弱いというのはユーモラスだ」なんて切り口で書いてたりもする。
シリアスに書いてるのは「人間失格」があるし、「男女同権」とか「黄村先生言行録」あたりは、ダメ男ユーモアもの。笑えるけどよく考えると結構悲惨にも思えるのがいいのです。
恋愛にダメな人を描いた「律子と貞子」とか「令嬢アユ」なんてのもあった。
弱さとは、いろんな角度から切ることができる、奥深い題材です。
だからってまあ、ToHeart2をプレイして「貴明の女性に対する弱さの裏にある哀しみを読み取った」とか言ってるべきだとは流石に思わんですけどね。
にしても、同情の余地くらいはないだろうか。
貴明の場合はほら、子供の頃から保護対象のこのみがいたから、女の子は丁重に扱わねばならんと刷り込まれた上に、横からタマ姐に逐一その具体的方法を教え込まれたり、失敗したら制裁されたりと調教し続けられてるんだから、ああなるのもまあ仕方なく思うんですよ。それで「扱いが難しくて失敗も許されない」と思っておるんでしょうに。
そういう考え方してる貴明は、いいんちょみたいな同レベルに頼りない子はよう似合うなぁ、とか、まあ煮え切らないのを傍目ににやにや眺めてるのが楽しかったし、また由真みたいな貴明以上の弱者で、しかも自爆を繰り返すなんて珍キャラと合わせると実に傍目にユカイなコメディであるなぁとかそんな。
別にこれくらいは大した深読みでもありませんが、少なくとも貴明のヘタレ探しなんかやってるよりは楽しい遊び方でありましょう。
弱いからバッシング、というのは想像力のないアホのやることではないかもったいないというほかない。
貴明ヘタレという認識は改める方が、知的に見えると思われます。
でもランスは不快だという私の認識は改めない。
三島由紀夫は、太宰のヘタレが大嫌いでした。
「あいつの悩んでいる苦悩は精神的疾患の一種だ。直す方法は俺が知っている。俺のようにボディビルをしろ」と、雑誌『たそがれ』に連載していたエッセイに書いていたくらいで、太宰が自殺するまで二十年くらいネチネチと非難し続けてたそうです。
(こういうこと書いたとき、ウソなのは誰でもわかるだろうと思っていいっ放しにしてたら案外わかんない人がいて、意外なところで困惑を生んでることがあるので、ウソだとはっきり書いておきますが、「あいつの苦悩は器械体操で治る」ってのは本当にいってたそうです。二十年毛嫌いし続けたのもマジですいや、20年はないな)
三島って、生まれつき病弱で、しかも子供の頃は貴族趣味の祖母になよっちく育てられて、そんな貧弱な自分にコンプレックスがあったといわれてるのです。
そのへんは太宰も同じようなもん(青森一番の金持ちの末弟として生まれ育った)ですけど、長じてからがぜんぜん違い、三島の場合はボディビルと剣道で肉体改造して克服した。
ボディビルで克服できた三島からすれば、ヘタレを直す気もなくぐじゃぐじゃ苦悩だデカダンだといってる太宰が鬱陶しく思えるのもまあ自然な話です。
まあ、ボディビルやる前から三島は太宰に噛み付いてましたけれど、その頃から克服したいという意志はあったんでしょう。意志がある人には、ない人がダメに見えるのはよくあることです。
こう書いてみると三島も案外俗物っぽいもんですけど(私は三島が苦手な太宰ファンであるから三島の悪口を言う)、貴明ギライにも同じようなところがあるんじゃなかろうか。
貴明がヘタレに見えてたまらない人は、「貴明みたいなヘタレさを克服したい」と思ってる人か、あるいは「もうあんなヘタレさは克服済みだ」という人だ、と。
貴明を特にヘタレと思ってない私なんかは、もし自分が貴明のシチュエーションに放り込まれたなら、貴明的にヘタレな立ち回りをするだろうなぁ、と思ってて、別にそれが悪いとも思ってない。しかも17歳当時の私だったら貴明くらいじゃ済まんような気がしてきた。うわぁ。
貴明ヘタレだなんていえる人は、強い人なんであるなぁ。
冒頭に書いてますけど、高校生ぐらいの恋愛モノって、煮え切らない葛藤こそが楽しむべきポイントでしょう。ねえ。
どんどんいっちゃう恋愛を見たいんであれば、「どす恋ジゴロ」とか読んでるといいと思う。
けっこう身も蓋も無いこというと、所詮ゲームなんでハッピーエンドがちゃんと用意されているということへの安心がある上での「ヘタレか! 行けよ! そこで行けば絶対その子は落とせるんだ」っていう感情じゃないかな。
とvladさんがいってた。