あんまり表立っては言わないんですけれど、私は女が嫌いです。
なんで嫌いなのか理由をいえ、といわれると困る。
理由はあるんだけれど、どれかひとつというわけでもない。
母親に虐待されたりもしてないし、酷い失恋をしたわけでもないし。言って格好がつくような大きなものはないのです。
それでもあえて挙げていくと細かいことばかりになってしまい、でも細かいのを組み合わせると随分大きくなって、結局ほとんど誰でもみんな苦手、という調子で。
つまりは私が神経質なのかなぁ。
「私が知らない人間の陰口を聞かせに来るな」とか、そういうことを嫌がってるくらいのつもりなんだけど……。
女嫌いといっても、目の前に現れた女性をすべて敵視して、即攻撃して排除する、みたいな態度を取ってるわけじゃありません。現実に存在するすべての女性を嫌っているんじゃない。
自分の中で「女」というものの概念というか定義というか、そういうのがあり、それを嫌っているという方が正しい。
この「女」は概念だから、別に具体的な誰かを指してるわけでもないし、必ずしもすべての女性が常にそういう状態にあるわけでもない。
だから、目の前に現れた女性が、私の嫌いな「女」に該当するかどうか判断する。確定できるまでは、いきなり敵視したりもしません。
嫌な「女」だとわかったら敬遠します。
そんな判断がつく前に接点がなくなる、というケースもある、というか一番多いかな。
ひょっとすると、嫌いな「女」とは違った女性がいるかもしれないし、そういう人がもし居たとしたら、別に嫌わないんだと思います。今のところ見たことありませんが。
「女」ではあるけれどスルーできる程度にしか酷くなく、付き合って楽しいことの方が大きい、っていう事例ならごく少数あります。別に二元論じゃないから、アナログなものです。
ところで女嫌いといえば僕らの本田透先生なのですけれど、どうも「電波男」とか読んでいる頃から、「先生はそのうちいきなり結婚したりするんじゃないか」と思えてしまっていました。背信です。申し訳ありません。
母親に虐待されたとか、バンドマンからオタクに転身した途端にキモいと扱われるようになったとか、恋愛が資本主義化していて搾取されるとか、「女」を嫌う理由が大きくハッキリしていて、その隙間をするっとすり抜けるような女性が現れたら、案外すとんと陥落するような、そんな予感がしてしまって。
例えば、「オタクキモいというから女嫌い」だと「オタクなあなたが好きです」と言ってくれる女性にめぐり合ってしまったら、もうノーガードになるんじゃないかな、って。
まあ本田透先生は山ほど幾重にも護身盾を持ってそうでもあるので、実際にすり抜けられるかはさておき。
彼の教えどおり護身をしようと思う信者諸氏は、例えば恋愛資本主義とかに教条主義的に頼るのは不味いと思うのです。
男性には、理屈を考えてはっきり理由をつけたがる傾向がありますけれども、特定の嫌う理由を作るのは、それから外れれば嫌わない理由を作ってるのと同じになっちまいます。
まして、人から教えられた理由のひとつやふたつで護身しようなんて、それがいくら大きな盾に感じられても、所詮は横と後ろはガラあき。
「女」をよく観察して嫌う理由を常に探し、それを全周に石垣のごとく積み重ねて時間をかけて構築し、その後も隙間を埋めて崩れを直し続ける完成のない作事改修を続ける。
そうしないと、自分が嫌いな「女」ではない女性の存在を許す隙間ができる。真に女嫌いたる道は、面倒なものです。
ネットの片隅に巣を作って女嫌いが集まって、こそこそ「女」の陰口を言って憂さ晴らしをしているような場所を私もよく覗くのですが、たまに女嫌いを自称する女性が紛れ込んでくる。
こうなるともう、罵って叩き出すようなことも言いづらいし、といって、どう見てもその女性も嫌な「女」だし、みんなして対応に困る。
これが逆に、男嫌いの女性の溜まり場に男嫌いの男性が紛れ込んだりしたら、もう確実に袋叩きなんですけどね。
あくまで概念としての「女」を嫌っているに過ぎないとすれば、女性が「女」を嫌ったって何もおかしいところはありません。
でも、自分が女性である限りは、自分を対象とするような「女」の概念は持てないだろうし、男性が嫌ってる「女」とは重ならない部分があるでしょう。それはどうしようもない。
で、そういう女性って、自分の定義するところの「女」を罵りつつ、いかに自分がそういう「女」ではないかを主張する、ということになる。そうしないと矛盾する。
そういう姿を見てる私は、都合よく自分を外して「女」を定義してるように見てるし、「女」ってのはホントに手前勝手な自己弁護が多いなぁと思ってしまう。彼女のやってるようなことをする存在こそ「女」である、という定義になってる。
「女」の定義が噛み合わないから、どうしても話が合いません。
こちらが嫌ってる「女」の姿に自分が該当するとわかったら、こっちの「女」の概念を書き換えようとムキになって騒ぐ、ということもよくある。言うまでもなくこんな「女」は嫌いです。
明らかに自分も該当しているような「女」を嫌いだと言ってる女性もいますけど、これはもう話の外。
だからまあ、女性が女嫌いになるのはいいんですけど、男性の女嫌いグループに同属として受け入れられるのはまず不可能でしょう。
私がモテるかモテないかといわれると、明らかにモテない。
女嫌いだから、女性と相対しても何も期待をしないせいだと思います。
なんかこう、男性から性的な目線を向けられるのはほとんどの女性が嫌がるんですけど、ぜんぜんそういう態度を示さずにいてもまた、ほとんどの女性はだんだん遠ざかって行きますねえ。
それはそれでイヤだ、というのもわかる気はします。PCオタの私が、PCの故障で困ってる人に質問されないときのような、そういう気分じゃないですか。
まあただ単に、私が無自覚に女性を遠ざけるようなことをしてるだけかもしれんのですけど、それもまあ女嫌いが原因でしょう。
「モテないから女嫌い」は必ずしも真ではないですけど、「女嫌いだからモテない」というのは、よほど女ウケのいい容姿や性格や財産などを持っている例外を除けば、大抵は真だと思います。
で、「モテないから女嫌い」という人は、それだとますますモテなくなって傷を深めていくと思います。
その理由なら女性に好かれれば変わるでしょうし、そのためには女好きでなきゃ話になりません。
変わりたいなら女好きになるべきだし、変わらず女嫌いでいたいなら、別の理由を探した方がいい。「モテない」というのは、100%女のせいにできることじゃないから、抱えてると自分がダメージ受けるだけです。
ところでモテだモテないだの話といえば、太宰治の「チャンス」という作品が面白い見解で書かれています。私は賛同の立場。
萌えキャラは「女」とは完全に別の存在だから、女嫌いでも美少女キャラに萌えます。以上終わり。
しかし、これまで長らく現実離れしたキャラばかりで回っていた萌えの世界に、生々しいリアルな「女」を感じさせるようなキャラが現れるようになってきてますね。
最近見たところでは、「true tears」の湯浅比呂美とか。
一部(私とか)には嫌がられつつも、「だからこそ」と支持を受けていたりもしていて、これから伸びそうなキャラ造形です。
こういうのがウケるからには、オタク=女性にヘンな僻みを持ってるとか、そういうのは誤解になってきつつあるんでしょう。いいことです。