彩女

≪私の場合≫

 これは彩女についての記録である。
 私は今、この記録を長い黒髪のカツラをかぶって書きはじめている。頭にかぶると、すっぽり、ちょうど腰のあたりまで届く長い黒髪のカツラだ。
 つまり、今のところ、彩女はこの私自身だということでもある。彩女が、彩女の記録をつけているというわけだ。

≪彩の製法≫

 材料
腰までの長い黒髪のカツラ ひとつ
黄色いリボン 一本
黒のカラーコンタクト ワンセット
地味な装いの衣類(偽ブランドまたはスーパーのバーゲン品) ひと揃い
(なお、こみパに出るための本格的身ごしらえには、他にマンガ画材一式を揃えたケース、売れ残りのコピー本を載せたカートを用意すること)

 以上、本物の姿に沿って身につける。
 より完璧な彩女になるポイントは――
 あまり口を開かず、たまに喋るときには多量のリーダー(……)で間を取りながら、小声でぼそぼそと呟く。呪いの言葉を遠くの憎い相手に届けようとするように。例外的に、画材の話、趣味の話など、得意分野の話題を振られたときだけは、一心不乱に相手のことなど気にもせずに喋りまくる。
 他人と向かい合っても、目線は相手の目を見るのではなく、こめかみあたりへ微妙に目線を外す。すると、正面から向かい合っているはずなのに、なんとなくそう感じられない不安感を与える表情ができる。しかしシチュエーションによっては、逆にしばらくじっと相手の瞳を見つめるべき場合もある。その時は、できる限り瞬きもせずにじっと見つめてやれば、これもまた不気味さを感じさせる効果がある。

≪たとえばRの場合≫

 姿を化けるだけなら、わけはない。だが、カツラをかぶって彩女になるには、かなりの勇気がいる。とにかく、このなんでもない地味な装いが、こみパに出たとたん、オタクでも人間でもない、化け物に変わってしまうのだ。彩女にはなにやら嫌みな毒がある。見せ物小屋の熊男や、蛇女の絵看板にだって、多少の毒はあるだろうが、いずれ木戸銭で相殺される程度の物だ。だが、彩女の毒は、そう生やさしいものではない。
 たとえば、君にしたところで、まだ彩女の噂を耳にしたことはないはずだ。べつに私の噂である必要はない。彩女は私一人というわけではないからだ。統計があるわけではないが、全国各地にはかなりの数の彩女が身をひそめているらしい痕跡がある。そのくせどこかで彩女が話題にされたという話は、まだ聞いたこともない。どうやら世間は、彩女について、固く口をつぐんだままにしておくつもりらしいのだ。
 では、見掛けたことは――
 白を切りあうのも、その辺までにしておこう。彩女が目立ちにくいのは、たしかである。本屋の片隅、こみパの会場、画材屋などどこにいても、まったく目立たない。だが目立たないのと、見えないのは違う。とくに珍しい存在というわけではないのだから、目にする機会はいくらでもあったはずなのだ。君だって、目撃したことくらいはあるに違いない。しかしそれを認めたくない気持ちも同じくらいよくわかる。見て見ぬ振りは、何も君だけとは限らないのだ。べつに底意がなくても、本能的に目を背けたくなるものらしい。
 それはそうだろう。あの、一度恨みを抱いた相手には、藁人形からヴードゥー教の儀式まで手段を選ばず呪い殺そうと考えそうな長谷部彩の姿をするのだ、よほど心の底にグログロとした部分を抱えている人間と見なされても仕方のないことだ。
 それにしても、何を好きこのんで、そんな彩女をわざわざ志願したりする者がいるのだろうか。不審に思うかもしれないが、その動機たるや、呆れるくらい些細な場合が多いのだ、一見、動機にはなりそうにもない、ささやかな動機。たとえば、Rの場合などである。

 くいっ、と、美穂が袖を引かれたのが、コスプレ会場の更衣室そばでのことである。
「ん?」
 隣のまゆ、夕香と共に振り向くと、そこには見慣れない地味な女の子がいた。
 3人が振り向いても、無表情のままじっと見つめている。
「な、なに?」
「えっと、だれだっけ?」
 美穂とまゆが、いささか気味悪そうに言ったが、返事はなかった。本当は小声で返していたのだが、聞こえていなかった。
「たしか、長谷部さんでしたよね。何かご用でしょうか?」
 夕香が、さすがにいつも身内の統率役らしく、冷静に訊ねた。
 すると、
「……新作の……コス、です…………。……じゃーん……」
 という返事が返ってきた。
「え、って、じゃ、玲子なの!?」
「にゃははは、そうそう! わかんないぐらい似ってるでしょー!」
 まゆに聞かれて、突然玲子が素の口調に戻った。この格好で括った髪を振り振り大笑いするのは、一種異様な感じもあった。
「一体、なんでまたこのコスにしたわけ?」
「そりゃー――」
「あんまり人気がないから、オフィシャル人気投票一位の長谷部さんに化けて、せめて人気者の気分だけでもを味わいたかったんですよね?」
「そーそー☆」
 ずいぶんひどいことを言われているのに全然応えないのは、性格のせいか、許せる仲だからか、いい加減言われなれているせいか。「大志以下」「もっともSSを書いてもらえない女」「衣装ハデでも存在地味」など、今となっては言い尽くされた言葉だ。
 不憫な。
 そう、不憫な理由であるが、これが、芳賀玲子が彩女になった動機の、ささやかな源である。

「でもま、気持ちはわかるよ。ボクも15位だったからね」
 ……と、まゆが、何の気もなくぼそりとこぼした。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
 長い、沈黙があった。
「……え、なんか……悪いこと言ったっけ?」
 気づいていない。少々鈍い。
 夕香も美穂も、ランキング外、順位表に名前すら書いてもらえていない。夕香はともかく、美穂の方は他のふたりよりもかなり台詞も多く、役どころも重要だったはずだ。しかしランク外。まゆなど、ゲーム中での扱いを思えば相当な人気と言っていい。
 玲子はさすがにそれに気づいていたが、やはり、いかな身内といえど、自分より低いところで争うのを優越感を持って眺めたい、という気を起こすのを止めることはできなかった。あの玲子の心中に、まったく無意識にそういう暗い発想が出てしまったのも、長い間不人気と言われ続けて少しずつ溜まった黒い意識のせいか。あるいは――
「…………あのランキング……猪名いこの画面では彩さんの肩に隠れてますけど、16位は、オタク縦横コンビなんです……」
 そして玲子は、彩の口調にまた戻って、そうぼそりと呟いた。これは「猪名いこ」のNightフォルダのNightdat.pakをSusieで開いて、Z_INFO00.LF3を開いてみると確認できる事実である。
 事実である――が、もちろん、これをこのタイミングで言うのは、他のどんなタイミングよりも悪辣である。人間、明るい感じの服を着れば明るい、落ち着いた服を着れば落ち着いた態度を取ってしまうと言うが、やはり長谷部彩の姿をすれば、長谷部彩のようになってしまうものなのだろうか。
「……。」
「……。」
 オタク縦横以下。
 その事実を突きつけられて、言葉を失くす夕香と美穂。
「あー、で、でもほら、オタク縦横はふたりセットでの票数だしさ。バラで数えればきっともっと下だよ!」
 玲子のあの呟きでやっと自分の言葉の意味に気づいたまゆは、空元気を沸かせてフォローを入れた。
「……。」
「……。」
 しかし、やはり、フォローはむなしく空転した。
 その有様を、玲子は――長谷部彩のように――無表情に、じっと見つめていた。

≪そして翌月、あるいは、MとYの場合≫

 翌月のこみパの会場。夢路まゆは、いつもの着慣れた羽根兜をつけて、更衣室前で連れの出てくるのを待っていた。玲子はいつも更衣室で別の友人と話していたりして遅れがちだが、いつも比較的てきぱきと着替えるはずの美穂も夕香も出てこない。ということは、このふたりは新作衣装であろう、と想像できた。コスプレの衣装はえてして特殊であるし、そうでなくても初めての衣装は着こなしのチェックに時間が掛かる。
 とん、とん、と地面を靴で打ちながら、短からぬ時間を立ち呆けていた。まゆはあまり気の長い方ではないし、せっかく暇そうにしているのに、写真を頼まれることもない、と内心で愚痴をこぼしてもいて――
「すいません、一枚いいですか?」
「あ、はいはい、いいよー」
 ちょうど小声で愚痴った時、声が掛かり、まゆは笑顔を作って壁際に寄ってポーズを取った。ひとり声を掛けると続く人も多いもので、それからしばらく何人かに写真を撮らせ続けることになった。
 その人垣に、黒い髪の女の子が三人、いつの間にか加わっていた。

 ――賢明なる読者諸君はすでにお気づきのことであろうと思う。彩女は、感染する。人気という抗体を持たない、ささやかに、しかししっかりと、ゲームの片隅でシナリオを支えてきた慎ましやかなサブキャラは、しばしばよくこの病魔の誘惑に抗いきれず、彩女に堕ちてしまう。彼女らの存在無くして、シナリオは成り立たないというのに!

 まゆは、撮影が一区切りついて、撮影中に気づいていたひとりに近づいて、声を掛けた。
「や、玲子っ! 美穂と夕香は?」
 他のふたりの彩女にまゆが気づかなかったのは、その彩女独特の性質による。目立たないのである。いや、むしろ、自らの心の中に彩女が大きな比重を持つようになったときには――自分も彩女になるか、黒い呪いで暗黒世界に落とされるか、である。
「…………あの……わたしは…………」
「え、なに? 聞こえないよ玲子!」
 やはり人の多いところは騒がしく、彩女独特の小さな声は届かず、まゆはその彩女の口元に耳を近づける。
「……わたし、夕香です…………」
「え…………じゃあ、夕香まで、長谷部さんのコスを……」
「……そう、です…………」
「……わたしも……」
 突然背後から耳元にささやかれて、振り返ると、もうひとりの彩女がいる。
「こ、今度こそ玲子? それとも美穂?」
「……美穂、です…………」
「……お友達なのに……わからないなんて…………」
「ひっ!」
 また別の方向から声を掛けられて振り向けば、そこにもまた彩女である。
「……信じて、たのに…………」
 振り向いた先にいた玲子は、さすが一月早く彩女になっただけに、演技も板に付きつつある。もう涙を自在に浮かべて武器にするのも、苦にもせずやってのける。
「……長い、お友達なのに……」
「……わかってくれないなんて…………」
「……寂しいです…………」
「……悲しいです…………」
「……残念です…………」
「う、うわああぁぁぁっ!!!」
 まゆは、ただ、そこから逃れることしかできなかった。

≪声≫

「…………新刊、ご注文の分、お届けです……」
「あれ? 彩ちゃんが?」
「あ…………新しい、バイトで……」
「ふーん」

「……ごめんください……。新刊のチェック、です…………」
「あれ、また彩ちゃん?」
「……はい……。スタッフですから……」
「へー。さすがこみパ想いだなぁ」
「……そんな…………。あ……チェック、OK、です……」
「はいはい」

「……こんにちは……。……今月も、ご注文の品を…………」
「で、またまた彩ちゃん!?」
「……ご注文の品を……」
「あ、ああ……はい、500円、ちょうどいただきます」
「……たしかに、おあずかりしました…………では……」
「うん……あんまり体壊すほど働いちゃダメだよ」
「……大丈夫、ですから…………」

………………
…………
……

≪…………………………≫

 そう、彩女は、全国各地、かなりの数が身をひそめているのである。そして、一度、会った人物に人気がないと見るや、たちまちのうちに、人気という甘い香りで誘惑し、その地味な衣装に籠絡し、彩女としてしまうのである。
 もはや、珍しい存在ではないのだ。どこにでも見ることができるのだ。ただ、その数多の彩女たちを直視せず、無意識にただひとりの長谷部彩であると思いこんでいるがゆえに、それが彩女であると思わずにいただけなのだ。
 君だって、目撃したことくらいはあるに違いない。