朝7時。
春休みののんびりした明け方、みんなはまだ寝静まったまま。
今日という日は、とりあえずこの家を離れておかないといけない。
3月14日。世に言うホワイトデー。
バレンタインのお返しをする日、というか、俺にとっては、それにかこつけて妹たちにたかられまくる日だ。
着替えにぬかりはない。髪もとりあえず整えた。髭も剃った。
荷物は夕べのうちにチェック済み。財布もちゃんと入ってる。
靴もあらかじめ部屋に持ち込んであるから、あとは、
「いってきます」
と、窓から抜け出すだけだ。
音を立てないように窓をそっと開けて、すっ転ばないように窓枠をまたぐ。
外に出ても、こんな時間から外に居る妹はいない。あるいは衛は居るかもしれないと思ったが、どっかへ走りにいってるだろう。
すがすがしい朝、というにはちょっと早い時間だが、それでも空気が澄んでいて気持ちがいい。
まだ昇りきらない朝日が、空を濁った水色に染めている。
車の音も人の声もなくて、遠くの山の木々が風に鳴る音だろうか、そんな低いざわめきだけが身体に伝わってくる。
「っと」
感動している場合でもなくて、さっさと逃げ出さないといけない。
ふたたびそっと窓を閉めて、足音を忍ばせて家を離れる。
「あれ、あにぃ、珍しく早いね」
「うを」
庭に出るなり、門からタオルで汗を拭きながら衛が入ってきた。
こっちは鞄も持って見るからに外出支度だ。
「こんな時間から、どこか行くの?」
と、聞かれるのも当然だろう。
「あー、ちょっと遊びに……」
「それじゃボクも連れてってよ」
言われると思った。
「そのカッコじゃダメだよ。いくらなんでも街中を体操服の女の子連れて歩けないでしょ」
半袖の体操服にブルマ姿の妹を街に連れて行ったら、こっちが変態だと思われる。
「あ、そうだね。じゃあ着替えてシャワー浴びてくるからちょっと待ってて」
と、すばやく合点して玄関のほうに走っていく。
とりあえず咲耶なんかと違って最低限の常識は持ってるところは大好きだぞ衛。
咲耶は、あらゆる常識よりも俺を垂らしこむ目的が優先するんだから。体操服で街に出るぐらい何ほどのことか。
「さて」
衛がドアの向こうに消えたのを確認して、出発。
「あにぃ、置いて行っちゃイヤだ……あ〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「げ」
何かを察したのか一言確認しに戻ってきたらしい衛が、小走りに逃げていく俺の姿を見て大声を上げる。
ていうか、頼むから運動で鍛えた肺活量で叫ばないで……と思いつつ、
「如何致しました!? 痴漢ですか!?」
「それとも泥棒!?」
春歌とか咲耶あたりの血の気の多そうなのが飛び起きたらしい声を背後に受けて、俺は走るスピードを上げる。
なんとか駅までたどり着いた。
そして、たどり着いたその時、電車が目の前から走り去っていった。
「あー……なんてこった」
次の電車まで10分。
膝に手をついてうつむいて、荒い息を整えながら、10分もあったらあいつらは追いついてくる、と絶望的な思いに囚われる。
行き場所を伝えたわけじゃないにしても、こんな時間じゃ商店街なんかも開いてないんだから、駅以外に俺が行く場所があるわけもない。
それぐらいの推理なら四葉でもできそうだし、鞠絵や可憐なら確実に見抜くはずだ。
「どーしようかなぁ……」
「そうね。何をしてデートしようかしら」
「ほんと、置いていくなんてひどいよ」
声を掛けられて顔を上げると、咲耶と衛がいる。
寝巻きのまま飛び出してきたってわけでもなくて、ちゃんとデート用の装備に身を固めて。
「……なんでそんなに早いの?」
「愛の力ね」
「あにぃのためなら」
あいもかわらず物理法則さえ超越してるように思わせるこの連中。
そう思ってる間にも、改札を通って春歌がやってくる。
「着物はどうしても時間が掛かってよろしくありませんわ」
「大変ね。でも、すぐ電車が来てたら置いていかれてるところよ」
ちょっと勝ちほこり気味に咲耶が言う。
「些細な有利不利のためだけに、大和文化を守る信念を曲げるわけにはいきません」
春歌も毅然と言い返す。
少し遅れて可憐も来る。鈴凛と四葉もほとんど同時に来る。
「早いですね……」
息一つ乱れていない先の3人に比べて、こちらはいかにも走ってきた感じに肩で息をしていた。先の3人が異常に強靭なだけで、これが普通だろうとも思うが。
これでもう6人も揃った。
どうすればいいんだ。
こんな6人に連れまわされたら、金も時間も体力も吸い尽くされる……。
電車が来た。
「それでお兄様、どこまで行くつもりなの?」
ぞろぞろと7人で乗り込みつつ、咲耶が聞いてくる。
「とりあえず、街のほうまで出ちゃおうかと思ってるんだけど……」
街まで電車でざっと20分ちょっと。急行電車で4駅ぐらいだ。
「……でも、行き先知らないのに、切符はどうしたの?」
「そんなの、一駅買って乗り越せば済む話じゃない」
鈴凛の台詞に、皆一斉にうなずく。
切符ぐらいで躊躇なんかしやしねえ。
が、そこに抜け穴がある。そういうことなら、またこの妹たちを撒くチャンスが出来そうだ。
「私は、終点まで買っちゃいましたよ」
しかし、可憐だけがそう言って自分の切符を見せる。
「え、そんなの、もったいないじゃない」
金にうるさい鈴凛が驚く。うるさくなくても、鈴凛たちのようにするのが普通ではあると思う。
「だって、お兄ちゃん、乗り越し清算してる間に逃げちゃうでしょ。そんなことなら、と思って」
「あはは、信用ないなぁ」
ていうか、見事に読まれてるよチクショウ。
「……その切符、可憐さんに持たせておくのは良くありませんわ」
「え?」
春歌がいつのまにか可憐の背後に忍び寄って、低くつぶやいた。
「……四葉たちが清算してるあいだに、抜け駆けして兄チャマとふたりで逃げ出しそうデス」
「……四葉ちゃんの推理も、たまには的を射てるわね」
「そ、そんなつもりじゃ……」
と可憐は言うが、俺も四葉の推理が正しいだろうと思う。口には出さないが。
四葉と咲耶が、可憐の両脇からじりじり近づく。
『まもなく2番線から電車が発車いたします』
そのアナウンスに続き、ピリリリと車掌さんの笛が鳴る。
それを合図に、切符めがけて咲耶と四葉の手が伸びる。
慌てて手を引こうとするが、それを春歌が取り押さえる。
「ちょっとみんな、電車の中でさわいじゃだめだって」
と、衛がなだめる。
そして俺は、
「それじゃ」
と、さりげなく電車を下りる。
「あ! アニキ!」
鈴凛が気付いた時には、ドアが間をさえぎっていた。
ガラス窓の向こうで、妹たち6人は呆然とこちらを見ていた。
「あんまり遅くならないうちに帰れよ」
とりあえず手を振っておいた。
「あー! 電車が出ちゃいましたのー!」
で、電車と入れ違いに聞こえてくるのがそんな声。
そーだ12人もいるんだよなぁ残り6人が居るんだよなぁあははは、と乾いた笑いが漏れる。
「と思ったら、にいさま。にいさまも乗り遅れましたの?」
「うん、まあそうだよ」
「そうなんですの? 可憐ちゃんたちは?」
「いや、見かけなかったけど」
見なかったことにしたい。
「ということは、今日は姫とにいさまがふたりきりで過ごせるんですわね!」
「は?」
「千影ちゃんはいつものように来ないらしいし、鞠絵ちゃんも来れないし。花穂ちゃんには、雛子ちゃんと亞里亞ちゃんのお守りを押し付け……じゃなくて、お願いしてきましたのよ」
なるほど。残り5人は家の中で、先の6人は上手く巻かれて、たなぼたが転がってきたと。
しかし、一人だったら撒くのも簡単なんだぞ。
「姫はいっつもお料理と洗い物で忙しいし、あんまりにいさまとふたりっきりの機会がありませんわね」
「ああ……まあ、そうかもしれないね」
確かに少ない。
咲耶や春歌なんかは、今日みたいに向こうから無理矢理機会を作ってくる。
可憐も、上手く立ち回って機会を作ったり奪ったりしてるみたいだ。今日みたいに。
四葉は四六時中どこかに張り付いてるし、衛は正面からスポーツに誘ってくる。
千影や鈴凛は実験台に狩り出してくれるし、雛子や亞里亞のような幼児がまとわりついてきても、振り払えるほど非情にもなれない。いやほんとに。
そんな連中に押しのけられて、いつも割を食ってるのが白雪だった。
ちょっと不憫な気もする。
といって鞠絵みたいに四六時中不憫オーラを出してるわけでもないから、ちょっと気付かなかった。
「いや〜ん♥ 今日はにいさまをひとりじめですわ」
と、そんな白雪が俺の腕にとりついてきても、咲耶にやるように引き剥がすのも少々ためらわれるものがある。
「そうだね。バレンタインは白雪ちゃんのチョコレートケーキが一番凄かったし。お礼がてら今日は一日一緒にいようか」
と、つい言ってしまう。
俺は甘いだろうか。
「はぁいですの♥」
と、絡めた腕に力をこめる白雪。
やっぱり甘かった気がする。
「それで、どこに遊びに行きますの?」
「温水プール」
「え゛」
甘くないところも見せてバランスを取ってみた。
咲耶たちが乗っていった方向とは逆の電車に乗って、急行で2駅も行けば目的地。そこからちょっと歩けばプールに着く。
レンタルの水着やバスタオルを借りて、ちゃちゃっと着替えてプールに。
「おー」
24時間営業の温泉・サウナの付属プールだから、朝の8時にもしっかり営業している。
でもこんな時間には、飲みすぎて終電を逃したおじさんがサウナで寝てるぐらいのもので、温水プールのほうは誰もいない。
25メートルプールを独占状態。ちょっと自宅にプールのあるブルジョアの気分だ。
「にいさまー! お待たせですの!」
エコーを効かせた声をあげて、白雪も入ってくる。
いかにもレンタルものらしいシンプルなピンクの水着を着けて、それにしおれた浮き輪に腕を通して歩いてきた。
そういえば浮き輪も売ってるな。
それを膨らませてくれ、などと言われる前に、プールサイドを蹴って頭から飛び込む。
「にいさま、浮き輪ふく」
ざぶ、と、飛び込んだ水に白雪の声がさえぎられた。
体温ぐらいに温かい水は、いきなり飛び込んでも心臓がびっくりしたりはしない。
泡と一緒に底のほうまで潜って、そのまま前にバタ足で進んでいく。
浮きそうになる身体を下に抑えながら、息が続くまで泳げるだけ泳ぐ。
息が切れたところで上半身を少し上向けると、一気に水に体が持ち上げられて、水面から体が飛び出した。
振り返ると、ざっと15メートルぐらい進んで、プールの中ほどまで離れていた。
そして白雪は、プールサイドに腰掛けて浮き輪をくわえている。
このプールだったらせいぜい120cmぐらいの深さだし、浮き輪なしでも足が届くと思うんだけどな。
まあ使いたいなら仕方ないから、そのままやらせておいて、今度はゆっくりと平泳ぎで続きを泳ぐ。
飛び込んだのと反対側のプールサイドに着いて、ターンして向きを変える。
そこからはクロールに切り替えて、無理には急がずに戻っていく。
ほんの25メートルではものの1分もかからず、帰り着いてみると白雪はまだ浮き輪と格闘していた。
まだ半分も空気の入ってない浮き輪は、くにゃりと折れ曲がって白雪の太腿に落ちている。
「白雪ちゃん、浮き輪無くてもここなら足が届くでしょ?」
白雪も140cmぐらいはあるんだから、爪先立ちなら十分顔が出るはずだ。
「でもプールの中じゃ、これがないと落ち着いてにいさまと一緒に居られないですの」
とだけ言って、また浮き輪に息を吹き込む。
自分の足より太そうな大き目の浮き輪に、小さい体で必死で息を吹き込む。
そんなに急がなくてもよかろうに、とも思うが、やっぱり一分でも早く俺の横に来たいんだろう。
「ちょっと貸して。やったげるから」
プールサイドに手を掛けて水底を蹴ると、浮力に支えられて軽々と体が水から抜けた。
「あ、はい、ありがとうですの」
浮き輪を受け取る。
たいした特徴もない、ビーチパラソルなんかの模様があしらわれたビニールの浮き輪だ。
くるっと回してノズルを手前にもってきて、つまみあげて口を近づける。
その時ふと気がついて顔を上げると、こっちをじっと見つめている白雪と目が合った。
「んふん、間接キスですの♥」
目が合うなりそういうことを言うから、
「塩素消毒」
「あー!」
プールに浮き輪を突っ込んだ。
膨らんだ浮き輪に捕まる白雪を、浮き輪ごと引っ張ってプールの真ん中まで来る。
身体を通さずにビート板のように浮き輪を掴んでいるのは、ちょっとした水泳練習のつもりだ。
白雪は浮き輪を両手で掴んで、必死でバタ足のように足を暴れさせている。
「白雪ちゃん、この辺でストップ」
「ひぃ」
掴んでいた両腕を輪の中に突っ込んで体重を掛けると、くるっと浮き輪が裏返って頭と肩が輪を通り、いわゆる普通に浮き輪を使う体勢になる。
ずいぶんな早業だが、そんなに浮き輪に慣れてるんだろうか。
「白雪ちゃん、人間の身体は水に浮くようにできてるんだから、そんなに必死になって泳ごうとしなくても大丈夫なんだよ」
「そう言われましても」
と、困った顔をされる。
確かに、言われたからって言われた通りにできるものでもないし。
「こうやって、ただ力を抜いてれば自然に浮かぶんだけどね」
と、仰向けに浮かんでみせる。
顔が少し水面から上にでて、そこで浮力がつりあって浮かぶ。
その顔を、斜め上から白雪が見下ろす。
30cm以上身長が違うから、こうやって見下ろされるのは珍しい。
こうして見てみると……病的にブラコンでなけりゃ、かわいい妹ではあるんだけど。
「うーん」
「ううん」
どうしたものか、と考えて唸ると、白雪も同時にそんな声をあげる。
「どうしたの?」
「えーと、こ、こんな感じですの?」
と、浮き輪を抱え込んだまま、足を蹴って下半身を浮かせる。
しかし、すぐに沈んで足が着いてしまう。
「底を蹴るんじゃなくて、浮き輪に体重をあずけて、だらっと身体の力を抜けばいいんだけどな」
一応言ってはみる。
とはいえ、自分が泳げなかった子供の頃も、そう言われても水が怖くて緊張して仕方がなかった記憶がある。
「難しいですの……」
「そうだよね……」
ちょっと気落ちしたような顔をする。
「そうしょげないで。せっかく来たんだから楽しくやろうよ」
まあ、泳げないのわかっててわざわざプールに連れてきたのは俺ではあるんだが。
「あ、そうでしたわ。せっかくのふたりきりでしたのに……?」
そう言って、
「目一杯楽しみますのっ♥」
仰向けに浮いている俺の上に飛び乗ってきた。
「ぶわぁ!」
いきなり水の中に押し込まれて、弾みで鼻から水を入れてしまう。
いくら泳げるといっても不意打ちはつらい。
反射的に捕まるものを探して、手に触れたものを引っ張る。
「ひゃぁ! にいさまっ!」
ざぼ、と、もう一つ何かが水に沈む音が水越しに聞こえる。浮き輪か、あるいは白雪の手足でも掴んだらしい。
その音で気を取り直して、落ち着いてプールの底にしっかりと立つ。水はせいぜい胸までしかない。
が、さっき引っ張り込んでしまったらしい白雪が、
「助けてにいさまっ!」
とか言いながら、首を掴んでしがみついてくる。
引き倒されて、白雪もろともまた水の中へ。
「白雪ちゃん! とりあえず立って! 足届くんだから!」
「ひ〜ん!」
俺の言葉が聞こえているやら、叫びながら首を絞めるわ、腕や背中に爪を立てるわと大暴れ。
溺れてる人はパニックになってるから、下手に助けるのは危ないらしい……と聞いたことはあったが、こうなったらどうしろと。
一瞬死ぬかと思ったものの、なんとか水難危機を脱出して、ふたりでプールから上がってきた。
これ以上プールに居るのもどうかと思って、街まで遊びに出よう、とまた駅に戻ってきている。
時間も11時を回って、すっかり太陽も高くなっていた。
「にいさま、ほんとごめんなさいですの」
と、俺の顔の引っかき傷を見つめて言う。
「あー、大丈夫だから気にしないでってば。これぐらい」
笑顔を作ってそう返す。
実際のところ、顔のほうはたいしたことなくて、服に隠れてる背中とか腕のほうが傷が深い。そっちを心配しろ。
「でも……姫が泳げたらそんなことにはならなかったですのに」
「いやぁ、元はといえば、泳げないのわかっててイジワルしてプールに連れて行った僕が悪いかもね」
「え、イジワルで連れて行ったんですの?」
「うん」
一瞬、きょとんとした顔をして、
「もう、ひっどいですの!」
傷口のあるほっぺたを思いっきり引っ張る。
「で、痛い痛い」
「もう、午後はじっくりイジワルの埋め合わせしてもらうんですの」
「はいはい」
膨れっ面の白雪と僕の前に、各駅停車が入ってくる。
真昼間の電車は空いたもので、乗降客も全然ない。
「にいさま、各停でのんびり行きません?」
「ん?」
『――まもなく1番線から電車が発車いたします』
「ほら、ドアが閉まっちゃいますの」
そう言ってすぐ、俺の手を引いて電車に乗り込む。
「なんでまた、各停に乗るの? 街で遊ぶのが遅くなるでしょ」
各駅停車で街まで行ったら、1時間以上かかる。
そう聞いている間にドアも閉まって、電車がゆっくりと走り始める。
「そんなに急がなくてもいいですの。ほら、にいさま、座りましょ」
誰も座っていない7人掛けシートの真中に飛び込むように座って、隣をたたいて催促する。
これだけ空いた電車で立っているのも馬鹿らしいし、誘われるままに俺も腰をおろす。
「ふぃ」
腰をおろすと、プールで身体を使った疲れが少し出ているのに気付く。
白雪もそうか……と思ったが、そこはあの永久機関を内蔵したような妹群のひとり、元気そうな顔でこっちを見ている。
「んふん♥」
鼻を鳴らして、密着するように座る位置をずらしてくる。
子供は体温が高いから、触れ合う肩がやたらと温かい。
プールの塩素の匂いがするかと思ったがそうでもなくて、軽く振ったらしいコロンの香りがする。
特に何か話を振ってくるでもなく、ただ寄り添ってくる。
向かいの窓に目をやると、街から少し離れているだけあって、木造の古そうな家やちょっとした田畑も見えて、割とのどかな風景が流れていた。
「今日はプールも電車もふたり占めですわね」
ふたり占めなんて言葉があるかは知らないが、ともあれこの車両にも俺と白雪のふたりしか乗っていない。
言われてみれば、なんとなく独占してるような気分になる。
電車がカーブを曲がって、背中の窓から陽射しが入ってくるようになる。
少し暑いぐらいに暖かくなる。ガラス越しの陽射しは、直接受ける陽射しよりもっと暖かく感じる。
ことんことんと揺られていると、軽い眠気がやってくる。
「ちょっと眠くなるね。これは」
そう言うなり、こつんと肩に触れるものがあった。
白雪が、肩に頭を乗せて目を閉じていた。
「ありゃ……」
元気そうでも、やっぱり少しは疲れているんだろうか。
それとも、ただ春の陽気で眠くなったのか。
駅に着いた電車がゆっくりスピードを落として止まり、ドアを開いた。
少し涼しい風が吹き込んで、それもまた心地よい。
「このままのんびり街まで行くのも悪くないかな」
ひとりつぶやく。
ほんとは時間が時間だから腹が減ってくるが、まあ我慢しよう。
いつものあの慌しさを思うと、こののんびりした空気は貴重だ。
ホームの向かい側に、下り方面の電車も入ってくる。
この路線は、快速は新車両だが各駅停車は昔からのレトロな車両のままだ。
水色塗装の、いかにも走る箱といったデザインがまた昭和っぽくてのどかでいい。
が。
「あ」
向かいの電車に、朝に見たような顔ぶれがあった。
その顔たちも、「あー!」と叫ぶ形に口を開いていた。
目の前を横切って車両ごとホームの端のほうに流れていくが、じきに電車が止まる。
あれから4時間は経ってるのに、しつこく探し回ってるもんだ。
「……早く発車しろ、って言っても無駄か」
向かいの電車のドアが開いて、静かなホームにパタパタと高い足音が響く。
「ええいもう。寝たふりでもするしかないや」
白雪の方に頭を倒して、軽く目を閉じる。
聞こえてくる妹たちの声を忘れて、一秒でも長くのどかな時間が続くように祈って。