パンが無ければ菓子を食え

 12月24日。
 世間ではクリスマスクリスマスとカトリックでもない無神論者の仏教徒が騒ぎ立て、彼氏彼女と親子の間にプレゼントが飛び交い経済がよく回り、これはバレンタインと並んで菓子屋玩具屋装身具屋の戦略にだまされる連中のばか騒ぎだとドライな人たちがひがみっぽく陰口をたたき、しかしそんな声は黙殺されてやはり浮かれムードを盛り上げようと神戸には電飾が灯るが神戸人には別に灯らない。
 もちろん雛山家の食卓は、電気の入っていないこたつに足を突っ込み、一個のみかんを姉妹仲良く分けて食べているばかりで、特に浮かれムードはない。

「クリスマスだな、りおねーちゃん」
「うん、そうね。もう24日だね」
 普通を装って言った良太と、ごく普通に返事を返す理緒。
 良太としては、この一言は相手の懐を探る牽制の一言で、本命はこの後に控えている。そして理緒にとっても当然それはわかりきったことであった。
 どの程度のプレゼントをこの姉にたかれるか。
 先月の末からずっと、食事のメニューなどを鋭く観察して現時点での我が家の余裕を推測し、さらにそれに応じて要求できるプレゼントのプランを立ててきていた良太。
 この読みを狂わせるべく、割安感を重視した、すなわち一見高価に見える食事を用意するなどし、懐具合の余裕を実際より少なく予想させる策を練っていた理緒。

「サンタクロースのじいちゃん、来るよな?」
「良太がいい子にしてれば、きっと来てくれるよ」
 子供らしさを装った良太の視線を、やさしい姉の視線で受ける理緒。

 良太の胸には、なんとなく違和感が浮かんでいた。
 ……去年までのりおねーちゃんは、こんなに落ち着いてクリスマスを迎えてはいなかったはずだ。
 クリスマスだな、とカマをかければ、うろたえて「来週じゃなかった?」などと言うし、サンタクロースが来るよな、と言ってみれば、返す台詞こそ同じでも視線に哀れみを請うような色が混じるはずだ。
 今年は余裕がたっぷりあるのか?
 いや、まさか……。

ガンガンガンガン!!

 しかしそんな良太の思考を断ち切って、玄関の扉を乱暴に叩きまくる音が鳴り響いた。
「雛山さん! おるんやろ! 扉蹴り壊すぞコラぁ!」
 玄関の戸はすでに立て付けが悪いから、叩く音がすごい。もちろん思い切り蹴れば壊れるだろう。
「は、はいぃ! ただ今!」
 雛山家には扉を破壊されている余裕などあるはずもないので、居留守を使うこともできず理緒は小走りに部屋を横切って玄関を開いた。

 開くと、そこにはスーツ姿のまじめそうなサラリーマンがひとり。
 しかし見た目と中身は一致しないのが昨今のサラリーマンの定説である。彼はいわゆる貸し金業の会社の社員だ。
「コラ雛山さんよ。俺が何しに来たかわかってるやろな?」
 けっこういいガタイの彼は、理緒にのしかかりそうな態勢で思い切り凄む。
 彼にとって会社の命令は絶対であるので、たとえ相手が年端も行かぬ娘であっても容赦することはできない。
「は、はいぃ……そ、その、もう少し、あと一週間で結構ですから……」
「あー!?」
 待ってください、などと言わせるはずもなく、怒鳴り声をかぶせる。
「待って待ってと引き伸ばしてくれて、うちに利子儲けさしてくれるんやったら有難い話やけどな。返す見込みもない、利子も入れてくれん、それで待てとだけ言われて待てるわけあれへんやろが!」
「す……すいません……」
「あやまるぐらいやったらとっとと金返してくれや。なんぼ口先だけであやまってくれてもこっちゃどないしょうもないわ」

 ずい、ずい、ずい、と詰め寄っていくサラリーマンと、じり、じり、じり、と後じさりする理緒。

「でもその、お金がなくって……」
「金ない? そんなもん、うちかてそんなええ景気でやっとるんと違うわ。金貸しの儲けは利子や。ひとり利子も入れてくれんようなお客様がおりやがるだけで、うちはいっぺんに火の車や」
「あ、す、すいません、でも、うちも、明日のご飯にも困るぐらいで……」
「何言うてんねん。どっかのえらい人も『パンがなければ菓子を食え』いうてるやろが。飯食えんのやったら菓子でもなんでも食ってりゃええんや」

 ぴた。
 突然、理緒が後じさる足を止めた。
 つめより過ぎてぶつかって、思わず足を止めてしまうサラリーマン。
 そして、うつむいて押し殺した声で理緒は言う。

「……お菓子を食べて生きていけばいいとおっしゃるんですね……?」
「お、そ、そうや」
 なぜか奇妙な威圧感を覚えて、少し戸惑うサラリーマン。
「……ご自分でそうなさったことはあります……?」
「う、ま、まあ学生の時分、飯作るのじゃまくさぁて、ポテトチップつまんで済ましたことぐらいはあるけど……」
「ふ……」
 あの理緒が鼻で笑った。
 ますますもって不気味である。
「……そんなもの、お菓子食べて生きていくうちにはいりませんよ……」
「ま、まあそらそうやけど」

 理緒は目だけを上向けてサラリーマンの顔を見上げ、ニヤリと笑った。
「……お米がなくなって、白菜の浅漬けをおかずにチョコバットで食事を済ませたことはありますか?」
「ぐっ」

 適度に染みた塩味と、白菜がもつほのかな旨味。それと交わるビスケットとチョコレートの甘味。
 その味のハーモニーの出来映えは想像だにできない。
 ただ……恐ろしいものである、ということだけは確かだった。

「……ありませんよね?」
「あ、あれへんな……」
 サラリーマンの額に浮かぶ汗。
 理緒は、笑っている。
「じゃあ、肉じゃがをおかずに10円ヨーグルトで食事を済ませたこともありませんよね?」
「ぬぅっ……」

 醤油と砂糖で甘辛く味付けられた肉じゃが。もちろん雛山家で肉なんて、カップヌードルにも劣るようなクズ肉の切れっぱしが少し入っている程度のわびしいものだろう。
 あまつさえ、主食が10円ヨーグルトことクイーンヨーグル。ヨーグルトオレンジ味とはいうものの、なんだかよくわからない化学物質の酸味と甘味。
 そのふたつの味の糸が交わり重なり合い、どのような布を織り上げるのか。
 サラリーマンは、自分が日頃豪勢とは言わないまでも正常な食生活を営めていることのありがたみを強く思い知らされた。

「それも……あれへんわ……」
 いつしか、サラリーマンの方がじりじりと後退を始めていた。
「ふふ……」
 逆に理緒の方は、サラリーマンの後退にあわせ、一歩一歩押し始めていた。
「一度、ちょうどお米の切れてる秋の日に、太刀魚が手に入ったことがあるんですよね……」
 目線はサラリーマンの目をしっかり捕まえたまま、じりじり詰め寄る。
「太刀魚は塩焼きにしたんですけど……ご飯の代わり、何になっちゃったと思います?」
「い、いや……わからん……」
「うふふふ、今もあるかどうか知りませんけど、ねるねるねるね、って知ってます?」
「うぉ……」

 ねるねるねるねで……。
 あの何でできているかわからない粘着物質。魔女のおばあちゃんがイヒヒと笑いながらそれをぐりぐりかき混ぜると、どんどん色が変わっていく。そしてそれを恐らく魔法が掛かっているであろうスティックに絡めとり、パステルカラーの砂糖粒をなすりつけ、儀式は終了。
 味は……酸っぱいものだったと思う。
 少なくとも、せっかくの秋の味覚太刀魚を台無しにしてしまう味であることは確かだ。
 年に何度もない贅沢なおかずを、ねるねるねるねで食わなければならない不運……。

「……知ってるわ。知ってるとも」
 言って、サラリーマンはがくりとひざをついた。
「雛山さん……あんた、そこまでどん底の食生活でよく今まで……」
「いえ……飢え死にしちゃうよりはずっと幸せですから」
 そんな食生活でもなお、自らを幸せと言う。
 サラリーマンの目には、小さな女子高生に過ぎない理緒が、富士の山より大きく写った。
 こんなけなげに強く生きる少女を、たかが数十万程度の借金で追い詰めるなんて。俺は間違ったことをしているに違いない。
「あんたが幸せだってんなら、俺は不釣合いなぐらい幸せ過ぎる……。自分が恥ずかしいや」
 彼の口から出た言葉は、そんな言葉だった。本心を口に上らせざるを得ないほど彼は打ちのめされていた。
「もうええ。あんたの借金、俺が肩代わりしたる。別に哀れみで言うてるんやない。これは……せめてもの俺の贖罪や……。何もいわんでいい。これからも、貧しさに負けずに強く生きるんや」
 立ち上がったサラリーマンは、さらにそう言いながら理緒の両肩に手を置いた。


 雛山家の危機は、意外な成り行きで過ぎ去った。
 その成り行きを見ていた良太は、姉がサラリーマンに明かした数々の悲惨な食卓を思い返していた。
 あの時の不味さ。えげつなさ。貧しい食卓には慣れていても、異常な食卓には慣れることもできなかった。
「……ねえちゃん……」
「あ、良太。びっくりさせてごめんね」
「いや、大丈夫だ」
 良太は、この姉からいくらクリスマスプレゼントを分捕れるか、なんてさもしいことを考えていた自分が恥ずかしくなった。
 自分自身も、姉と手を取り合って貧しさと戦わなければいけない身ではないか。
 それを、自分ひとりクリスマスプレゼントだなんて……。

「気を取り直して、クリスマスのお祝いしましょうか」
 理緒は、サラリーマンがくる前の明るい笑顔に戻ってそう言った。
「……別にいいぞ。そんなぜいたくしなくて」
「何言ってるのよ。年に一度のクリスマスじゃない! もう用意もしてあるんだから!」

 そして理緒は立ち上がり、台所の隅に置いた小さな紙袋から、持ち手のついた紙箱を取り出した。
「ほら、クリスマスケーキよ!」
 もちろん丸1個ではなく、切ったケーキが2切れ入っただけの箱だったが、それでも安物ではなくきちんとした専門店で買ってきた上等なケーキであった。
 良太は、自分がその店の前を通るたびについ目を奪われていたことを思い出した。そして、理緒もそれに気づいていたのだろう。  さっきカマをかけたときに見せた表情は、これがあったからか。
「……ねえちゃん……ありがとうな」
 良太はやさしい姉の心遣いに、思わず涙ぐみそうになった。やんちゃ盛りの男の子が感激して涙ぐむなんて、普段は恥ずかしくてできないことだっただろうに。

「で、おかずはキムチね!」