高イとこ登ル

「長瀬ちゃん、物足りないね」
「物足りないね」
 僕と瑠璃子さんは、いつものように学校の屋上に出て電波を集めていた。
 しかし……。
「飽きてきちゃったよね」
「飽きてきたね」
「量ももっとほしいよね」
「もっとほしいね」
 別に僕と瑠璃子さんの間が倦怠期で何かとモノ足りないとかそういうことじゃなくて。電波の話。
 といって思いっきり電波を吸引したりすると人の脳にやさしくないかもしれない。人に電気を送り込んで人を動かせるんだから、逆に人の電気を吸い出しちゃうと何をどうやっても動かなくなりそうだ。試してないけど。
「明日から連休だね」
「連休だね」
「週間予報も晴れが続くんだって」
「晴天続きか」
 ふむ。
 今朝のニュースの電波指数(洗濯指数に準じる)は90だったな。これは明日からも続きそうだ。
「電波、集めにいこうよ」
「いこうか」
「行き先も考えてあるよ」
「どこ?」
 ようやく瑠璃子さんの言葉のリピートをやめて、聞いてみた。
「くすくすくす……」
 しかし含み笑いだけで答えてくれない。
 まあ、いいか。
 僕たちはおんなじだから。
 瑠璃子さんが気に入って僕が気に入らないようなことなんてないはずだし。


 翌朝。
 僕と瑠璃子さんは、飛行機の中にいた。
 成田から飛び立った飛行機は、今は太平洋を南西に向かっている。
「機内での電波の使用はご遠慮ください、って言わなかったよね」
「でもやめといたほうがいいと思うな」
「そうだね……くすくすくす」
「でも……一度飛行機の操縦、ってやってみたいな」
「そうなの?」
「男に生まれたら一度はあこがれるよ。パイロットって」
「くすくすくす……でも、だめだよ長瀬ちゃん」
「わかってるって……ふふ」
 シートが3列なんだけど、僕と瑠璃子さんの隣に座った人はちょっと不気味な思いをしたかもしれないな。
 まあ、いいか。

 5時間のフライトの後、クアラルンプール空港に僕たちは降り立った。
 赤道に近いせいか、日本では冬も近いというのにここではまだ暖かい。それに湿度も高い。すぐに汗ばんできそうだ。
 ここから観光客たちは、シパダンというところにダイビングに行ったり、ランカウイ島なる島に行ったりするらしい。機内で隣の人が読んでいた旅行ガイドを覗き見て知った。
 しかし僕たちの目的地は、ここクアラルンプールにある。特に飛行機を乗り継いだり船に乗ったりすることもない。
 97年にできたばかりの新名所。そこに向けて、目的は違えど同じ行き先らしい人たちの後ろを歩き出した。

「高いね」
「高いな」
 僕たちは、それを見上げて感嘆した。
 空を突き刺す二本の超々高層建築。
「世界一高いビル、ペトロナス・ツインタワーだよ」
 クアラルンプールシティセンターという再開発地域の中心にある、不気味なほど高いビル。タワーと名はついているが、東京タワーのようなアンテナではなく、部屋のあるビルディングだ。
 しかも、二本。世界的にも珍しいそうだ。そりゃね。
 大阪の関西国際空港ゲートタワービルは、ツインタワーの予定が資金不足で1本しか建たなかった、という不名誉な話もある。
「すっごいなー……」
「なにしろ、東京ドーム7.5個分の高さだからね。452メートルあるよ」
「じゃ、セパ両リーグが一度に試合やってもまだ余るね……って、あんまり東京ドームは高さを喩えるのに使わないんじゃない?」
「あ、いけないいけない。間違っちゃったよ」
 ちなみに東京ドームの高さは61.69メートルだ。意外と高い。
「ま、とにかく、ここで電波集めたらすごそうだね」
「すごいよね」
「登ろうか」
「登ろうよ」

 僕たちはツインタワーの一方に入っていった。
 エレベーターを探し、すぐに見つけてそちらに歩いていく。
「○△×◇□!!」
 すると、突然係員らしい人が怒鳴りつけてきた。
 あいにく言葉がわからない。マレー語かな。
「○△×◇□×△×◇○△×××!!」
「長瀬ちゃん、マレー語ってわかる?」
「わからないよ」
「英語もだめだよね」
「あんまりだめだね」
「中国語もだめだよね」
「ぜんぜん」
 マレーシアは公用語がマレー語、人口の3割が中国系、そしてイギリス領なのでこういう内訳になる。
「困ったね」
「まあいいか」
 ともかく、僕たちはボタンを押した。
 この高いビルで存分にあたりから電波を集める、という楽しみにはどうにも抗いがたい。
 欲望が胸にわきあがってくる。
 現地のおじさんがなにかわめいてるぐらいで止めようとは思えない。
 電波、電波、電波、電波、電波、電波、電波…………

 全88階の22階にとまっていたエレベーターは、ゆっくりと1階に向けて下がってくる。
「△×○○□×○○□×△×××!!」
「長瀬ちゃん、この人どうする?」
「うーん……悪いけど、ちょっと眠っててもらうかな」
 僕は「眠れ」というイメージを頭に浮かべ、おじさんにぶつけた。
 するとおじさんはピクっとしたあと、そのまま膝を折って床に座り込み、背を壁に預けて眠りだした。

 僕たちはエレベーターに乗り込んだ。
 88個のボタンをならべるわけにはいかないせいか、タッチパネルのテンキーがついていた。
 迷わず88と押し、Enterと書いたボタンを押す。
 するとドアが閉まって、軽い加重感とともにエレベーターが登りはじめた。
 くぅ……ん、という静かなモーターの音とともに、箱が引き上げられていく。
「上がっていくね」
「上がっていくね」
「電波が私たちを待ってるよ」
「待ってるね」
「くすくすくす……」
「ふふ……」
 電波、電波、電波、電波、電波、電波、電波…………
 僕の心から、「電波」という言葉が何度も何度も電波になって飛び出していく。
 同時に、瑠璃子さんからもその言葉の電波が、ソーダの炭酸のように僕の脳を心地よくちりちり刺激する。

 チーンとベルがひとつ鳴って、エレベーターは39階で止まった。
 そういえば、88階まであるビルで39階まで誰も乗ってこなかったのも珍しいものだ。
「キミタチ! コノBuildingハ、マダ2カイカラウエハタチイリキンシダヨ! スグオリナサイ!」
 この階から乗ろうとしていた人は、僕たちにそんなことを言い出した。
 今度は日本語だった。日本人だろうか。
 しかし、
「立ち入り禁止?」
「降りろ?」
 その人は、今の僕たちにとって一番うれしくない言葉を投げつけてきた。
「ソウダヨ! Policeニミツカッタラ、フホウシンニュウデタイホサレルゾ! ハヤクオリナサイ!」
「くすくすくす……」
「ふふ……」
「ナ、ナニワラッテてててててるるるるる……」
「電波が私たちを呼んでるんだよ」
「呼んでるんだ」
「見逃してくれるよね」
「お願いします」

 おじさんの脳から僕たちの記憶を消して、さらに上に上がる。
 50………………60………………70………………80…………
「いよいよだね」
「いよいよだ」


 エレベーターを降りるとすぐ、大きな木の扉があった。
 押し開けて中に入ると、そこはとてつもなく派手なシャンデリアや石膏像、絵画、彫刻に飾られた部屋だった。床も踝まで埋まりそうな絨毯が敷かれている。
「ホテルみたいだね」
「それも最高級の部屋っぽいな」
「でもこの際電波とは関係ないよね」
「ないな」
 僕たちは、寝るだけなら10人以上は寝れそうな大きさの、シルクのカーテンの掛かったベッドの横を通り抜けて、窓際に行った。
「窓、あかないね」
「あかないね」
「まあ、仕方ないかな」
「ないね」
 幸い雲も晴れ渡り、窓にはマレー半島の隅々まで見渡せそうなすごい景色が広がっている。しかしそれもやっぱり電波とは関係ない。
 どうせガラスぐらい電波は通り抜けてくるんだから、気にせず電波を集めだした。
 日本の高校の屋上なんかより、はるかに遠くからの電波もはっきり頭に入ってくる。
 目に見えてしまうんじゃないか、というくらいの電気の粒が、僕たちふたりの周りに吸い寄せられてくる……。

○△×◇□×按△×◇×我愛×××◇○
×◇×○△×◇○△
×◇□×中心△×◇○△×◇□×△発熱△×××
○的△○△××□×△脳○△Are you OK?×××

「あれ」
「あら」

「……電波、マレー語だね」
「マレー語だね」
「中国語も混じってる」
「華僑が多いから」
「英語、もちょっと入ってるかな?」
「イギリス領だし」
「……わからないね」
「わからないね」
「つまらないね」
「つまらないね」
「なんだか、気分悪いよね」
「そうだね」

 ちりちりちりちり………………
 ちりちりちりちり………………


 連休明けの朝。
 僕はテレビをつけた。
「マレーシア国会では、公用語をマレー語から日本語に切り替える、と満場一致で可決されました。本日より公用文書では日本語が使用されることになります。日本語を公用語とする国は、日本国以外では初めてです。
 すでに首都クアラルンプールを中心に、民間でも日本語の使用が広まっており、この決議はおおむね歓迎されているようです」
 トースターに食パンを入れて、タイマーを3分にセットする。
 テレビの前に戻り、それを眺める。
「いつから、どのような理由でマレーシアで日本語の使用が爆発的に増加したのかは、いまだ掴めておりません。
 次のニュースです。中国・上海市浦東新区では、世界一の超高層ビル、上海環球金融中心の建設がほぼ完了し、地上460メートル、94階建ての偉容が公開されました。今までは、452メートルのマレーシア・ペトロナスタワーが世界一の高さの高層ビルでした。
 またこのビルは高さだけでなく、そのユニークなデザインでも注目をあび……」

「上海か……」
 誰に聞かせるでもなく、ひとりつぶやいた。
 すると、
「上海だね……」
 と、瑠璃子さんの電波が届いたような気がした。