かのんイズム2






    まえがき

      この話は自称常識的一般人である相沢祐一の目を通して
      彼の周りの破天荒(キチ)な人物たちを描き、男の好日
      とは何かを問う話です。
      一部設定に本編とは著しく乖離するようなところもあり
      ますが、なにしろ男の好日とは何かを問う話なので仕方
      が無いと諦めてください。



 放課後。
「かおりん、かおりん、愉快なかおりん♪」
 もういい加減に説明しなくてわかると思うんですが、北川です。
「素敵なかおりん、きれいなかおりん、優しいかおりん♪」
 本人が横にいるというのに平然としたものだ。
 しかし、実際どう考えても美坂香里という女に北川ほど惚れてる人間もいないわけで、
日課のようにぶん殴りながら止めを刺さないのは、そういうわけなんだろう。後は、こい
つは馬鹿だけど悪意は無いんだよなあ。
 まあ、こいつに止めを刺すのが純粋に困難であるというのも理由の一つだろう。焼いた
灰を川に流してもちょっと安心できん。
「かおりんのパンツは、末端価格で二億円♪」
 ぼこっ。
 思ったよりも軽いぐらいです。香里さん、人間できてますから。
「まあ、二億円なら」
 だ、そうです。すいません、俺はこのお方のこともようわからんようになってきました。
「んー、こんなもんだな」
 そんで、この馬鹿がさっきから歌いながら何をしていたかというと、なにやら鏡を見な
がら髪型など整えているのです。
 一年生の一部に「二時間ぐらい一緒にいる分には危険も少なくて楽しい」とえらい中途
半端なモテ方をしている男なので、今日はその辺りとデートと洒落込む気なのかもしれん。
まあ、美坂香里一筋を呼号するこの男自身はデートというつもりは無いようだけど。実際、
デート中の女の子に対して「美坂がいかに素晴らしいか」を語り出すらしい。
「あーもう、早くしてくんねえかなあ」
 髪型を整えてすっかり準備万端の北川が担任の石橋教諭に文句をつける。つーか、お前
こそHR中にそんなことすんなよ。
「あれ?」
 教室の扉は前後ともに全開になっているのだが、後ろの方に見知った人がいて、教室を
覗いているようだ。あれは……。
「香里、なんか栞が来てるぞ」
「え?」
 覗いている人というのは確かに香里の妹の栞だ。
「どうしたのかしら」
 香里が首を傾げる内に石橋がHR終了を告げる。
「こんにちわ〜」
 すぐに栞が入ってきた。
「どうしたの?」
「一緒に出かけようって約束してたんです」
 香里は思い当たる節が無いらしく、俺の方を見る。しかし、俺だって栞とそんな約束は
していない。
「悪ぃ、栞ちゃん。そっちから来さしちゃって。なぜか今日に限って石橋の話が長くって
さあ」
 頭を掻きながらいったのは北川だ。
「いいですよ、そんなに待ってませんし」
「そっか、じゃ、行こうか」
「はい」
 えーっと、ちょっと待ってね。
 うーん、今の話を分析すると、あれだ。今日、栞は北川と一緒に出かける約束をしてい
たわけだ。
「……どういうことかしら?」
 うわ、睨んでる睨んでる。めっさ睨んではるで。
「あ、今日は北川さんとお出かけするから帰りはちょっと遅くなるから、お父さんとお母
さんにいっておいてくださいね」
「安心しろ美坂。害虫がつかないように俺がしっかり見てるから」
 そりゃ、地上最凶の害虫が既についてたら他の虫なんか近付けもせんわな。
「それじゃ、行きましょう」
「おう、じゃ、まずは百花屋でアイスでも食べてこうか。奢るぜ」
「わぁーい、北川さん、大好き♪」
 栞はこんなキャラじゃなかったような気もするが、でもアイスのためならどんなことで
もする女だからなあ。
 ……。
 ……えーっとですね。あれですよ。
「香里……さん。ほら、あれだよ、ええ、なんていうんだろうね。ほら」
 駄目っす。かける言葉が見つからねえっす。
「まあ、そのー、恋愛ちゅうのは本人のあれでして、なんとかここは一つ穏便に……」
「何いってんの? あんた?」
「ごめんなさい」
 香里さん、恐ろし過ぎです。
「よし、後をつけるわよ」
 そう来るとは思ってました。
「誰か一緒に、名ゆ……」
 結局昼休みからHR終了まで寝ていて今さっき起きたばかりの名雪に香里が声をかける。
「あ! 部活に行かないと! わたし、部長さんだから!」
 寝ぼけ眼もふっ飛んで、名雪はカバンを持って物凄い速さで教室を出て行った。斎藤に
蹴りを入れて加速しつつ。
 思いっきり鳩尾に食らった斎藤が痛がっている。なんか、しょっちゅう名雪の踏み台に
使われているようだ。うちの従姉妹があんなのですまん。
「へへ、パンツ見えた」
 だ、そうです。
「じゃ、相沢君。行くわよ」
「行くって」
「つけるのよ。早くしないと見失っちゃうでしょ」
「え、いや、でも、つけるなら一人の方が……二人いると目立って見つかっちまうかも」
「今日はね、もしかしたら歯止めがきかないかもしれないの」
 さいですか。
「だから、着いてきて欲しいのよ」
「いや、でも、歯止めがきかなくなった香里なんて、俺じゃとても止められないよ」
 こいつは俺に死ねというのか。
「別に止めないでいいわよ。っていうか、止めたら死ぬわよ」
「いや、それじゃなんのために……」
「もしもの時に、代わりに出頭する人が要るでしょ」
「あ、急用を思い出した!」
 すまん、斎藤。俺も命が惜しいんだ。臭い飯も食いたくない。
 と、斎藤に蹴りを入れようとしたらあっさり足首取られて軸足払われてしまった。
「甘いぜ、相沢」
 にやり、と笑う。お前、蹴り防げるんじゃねえかよお。
「お前の蹴り食らってもパンツ見えねえし。そもそも男だし」
 そういうことか。って、うわ、香里に後ろ襟首掴まれた。
「斎藤君、ありがとう。それじゃあたしたちはこの辺で」
「ほどほどにしとけよー」
 ズルズルと引きずられながら、俺は手を振る斎藤に「斉藤ー、てめえー」とか負け犬の
遠吠えをしていたのであった。
「見失ったわ」
 校門を潜って香里が渋い顔でいった。確かに、あれから走って(俺は引き摺られて)来
たのに、もうどこにも二人の姿は見えない。
「スタートダッシュが遅かったからね」
 じろりと香里さんが俺を見てるっす。そうか、俺のせいだといいたいんだな。
「えーっと、あれだよ。百花屋に行くっていってたじゃないか」
 これ、いわなければ二人は平穏無事にデートできるんだろうけど、こっちだって命がか
かっているのです。
「よし、行くわよ」
「へい」

「いたわ」
「いるねえ」
 百花屋にて二人を発見。上手い具合に柱のすぐ側の席なのでその柱を挟んだ席に座れば
姿を見られずに会話を盗み聞きすることができそうだ。
 絶好のポジションに同じ学校の下級生のカップルが座っていた。初々しいことこの上無
い。
 香里さんが頼んで席を替わって貰いました。香里さんは彼と彼女の意志を尊重しました。
ああ、しましたとも。
「それで最近、お友達ができたんですよー」
「おう、よかったな。っていうか、栞ちゃんならもうクラスの男子の人気者なんじゃない
の?」
「えー、そんなことないですよ」
「でも、俺が知る限りじゃ、一年生で一番可愛いの栞ちゃんだぜ」
「もー、北川さんったら口が上手いです」
「マジマジ、一年の男子どもだって絶対そう思ってるってば」
 なんか、すっげえ普通の会話だな。もっと下ネタ率高いかと思ったけどそうでもない。
「北川さんこそモテるんじゃないですか?」
「いやいや、それがさっぱりでさ」
「北川さん、お姉ちゃんしか見てないからですよ。実は密かに人気あるんですよ」
「んー、そうなの?」
「ほら、どうでもいいやって感じじゃないですか。もう、本当にお姉ちゃん一筋なんです
から」
「へへ、そうかもな。正直、美坂以外の女子って、あんま気にしてないから」
 うーん。普通だ。なんか、これいったら香里にシバかれそうだから口にはできんが、な
んか、仲のいい兄妹、に見えないこともない。
 香里は相変わらず北川がなんか下手打ったら突撃できる体勢だ。……まあ、あの男には
栞とやらしいことする夢を見ようと望んだ前科があるからなあ。(かのんイズム1参照)
 でも、夢は所詮夢だからな。現実では確かにあいつは香里一筋ではある。それは認めて
やってもいいだろう。
「それじゃ、行こうか。例の場所に」
「はいっ」
 どうやら出るようだ。しかし、それにしても例の場所とは?
「まさか、ホテ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 あー、殺されるかと思った。下手なことはいわんとこ。

 二人がやってきたのは公園だった。何度か俺もここで栞と会ったことがある。
「それじゃ、始めるか」
「はい」
 そして二人はカバンからスケッチブックを取り出して、それに絵を描き始めた。
「なんだ。意外過ぎるほどに健全じゃないか」
 それにしても、北川が真面目くさった顔でスケッチブックに鉛筆を走らせる姿が見られ
るとは思わなかった。
「そういえば、北川君ってけっこう絵が上手かったわね」
 そうだったのか。よし、ちょっと見てやれ。
 ちなみに、俺たちは二人の背後の茂みの中に隠れとります。
 あ、本当に上手いな。こいつ、こんな特技があったとはな。そういえば、あの馬鹿、時
々授業中に隣の香里を見ながらなんか落書きしてるけど、あれは香里を描いてたのかな。
 で、栞は……相変わらずだな、どう見ても三次元世界の絵ではない。
 絵を描き始めるや、二人とも一言も喋らない。真剣そのものの顔でスケッチブックに向
かっている。
 なんだ。この二人はもしかしたら絵描き仲間なのかもな。
「おい、香里」
 小声でいった。距離的に大声を出したらまず感付かれるが、少し声を潜めれば大丈夫だ
ろう。特に、今は二人とも絵に集中しているし。
「なによ」
「そろそろ、尾行は止めて帰らないか? どうも、これから何か疚しいことは起きなさそ
うだし」
「どうしてそんなことがいえるのよ」
「北川は、なんだかんだでお前一筋なんだから、他の子には手ぇ出さないって、それに、
なんていうか、あいつの栞を見る目が凄く優しいんだ。栞が嫌がることをするとは思えな
い」
「……」
 香里は、無言のまま二人を見ている。俺のいうことを認めつつも、でも、目を離せない、
ってとこか。
 人の気配が背後にしたのはその時だ。嫌な予感とともに振り向くとガラの悪そうな男が
五人ばかりいた。
「こんな茂みで何してんだよ、ん?」
「Hなことしてんなら俺らも混ぜてよ」
 下卑た笑いを浮かべながら近付いてくる。ああ、可哀想な奴らだと俺は思った。
「な、なんですか、あなたたちは」
 香里が、怯えた表情をしながら震えた声でいう。
 ああ、香里さん、そんな演技はいいですから、さっさと殺っちゃってください。
「おっ、いい女じゃん」
「震えてんぜ、かーわいいねえ」
「たまんねえぜ、おい、マジでさらっちまわねえ?」
「でも、真昼間だぜ」
「かまやしねえよ、車はすぐそこだしさ」
 男たちが包囲の輪を縮めてくる。
「ちょっと、近付かないでよ」
 より一層怯えた顔をする香里。
 あー、こりゃ、散々その気にさせといてシバき倒す気だな。こいつら肉体的にも精神的
にもボロボロにされることだろう。合掌。
 だが、しかし、この馬鹿どもがけっこうでかい声を出してやがるもんだから、気付かれ
ないわけがなかったのである。
「ああっ! お姉ちゃんが性欲の塊のようなケダモノたちに犯されそうになってる!」
 いつの間にか、栞が元いた場所から移動して茂みの裏側に回ってきていた。背後の茂み
で何やら声がするので様子を見に来たといったところだろう。
「なぁにぃぃぃぃぃ!」
 そんなこと聞いて黙ってるわけが無い男が物凄い形相でやってくる。
「北川さん、お姉ちゃんを助けて!」
「いわれるまでもねえ!」
 北川が凄まじいスピードで突進してきた。たぶん、百メートルを十秒切る。
「な、なんだこいつ!」
 男たちが驚きながらも戦闘体勢を取る。一人、何か格闘技の経験があるらしかった。狙
いすましたカウンターが北川の顔面にヒットした。
「ふぬっ!」
 しかし、北川の勢いは止まらず、カウンターを当てた相手の腕が弾かれる始末。そのま
ま、北川の全力と勢いが込められたパンチが男の顔をふっ飛ばす。
「お姉ちゃーん」
 栞が小走りしてくる。
「相沢ぁ! 美坂と栞ちゃんを頼むぞ」
 叫んで、北川が男たちの中に突っ込んでいった。
 北川は、運動神経は水準程度だろう。むしろ、日頃から運動してないにしてはいい方か
もしれない。これは、俺もそうなんだけど。
 腕力はそれほどあるわけじゃない。でも、香里のことになると普段使ってない力が発揮
される上に、日頃から香里に殴られて暮らしているために異常に打たれ強い鋼鉄の体を持
っていた。
 多少喧嘩慣れしているからといって、
「くそ、見た目よりタフだぜ、こいつ!」
 とかいって、
「こいつを食らいな!」
 とかいって、腰から警棒を引き抜いて伸ばし、
「おらぁ!」
 ごつん、とフルスイングでそいつの後頭部をぶっ叩いたのに、
「痛ぇ」
 って呟いただけで、少しも動きが鈍らないような生き物に勝てますか。勝てません。
 多少、人数が多いからといって、
「野郎、こいつはどうだ!」
 とかいって、スタンガンを押し付けて数万ボルトを食らわせたのに、
「あぁ、これ、ちょっといいかも」
 って気持ちよさそうにするだけで少しも動きが鈍らないような生き物に勝てますか。勝
てやしません。
「うわー、北川さん、強いです」
 けしかけた栞も、普段からあいつと多くの時間を過ごしているわけではないので、ここ
まで常軌を逸した生物だとは思っていなかったのだろう。非常に驚いている。
「愛する女性のピンチに駆けつける白馬の騎士のようです。ね、お姉ちゃん」
 いわれたお姉ちゃんは、ちょっと嫌そうな顔してはります。
「おらぁぁぁ! 美坂のクリトリスには指一本触れさせねえぜ!」
 ここまでありがたみの無い白馬の騎士も珍しい。
 そして、自分もボコボコになりながらも、北川は五人の男たちを全員打ち倒した。
「てめえら、二度とあの子の前に顔出すんじゃねえ!」
 男たちはぴくりとも動かない。運のいい奴らだな。香里が直々に相手してたらこんなも
んじゃ済まなかっただろう。
「おぅ、美坂、大丈夫か? 怪我は無いか? なんか変なことされなかったか?」
「大丈夫よ、えーっと……ありがとう」
「おう、よかった」
 にへー、と北川が笑う。ホント嬉しそうだなあ、こいつは。
「ところでお姉ちゃんと祐一さんは何をしてたんですか?」
 栞がニコニコしながら尋ねてくる。って、こいつ、俺らが尾行してきたこと、気付いて
るんじゃねえのか?
「ちょ、ちょっと帰り道よ。たまたま相沢くんも帰るところだったから、ね」
「おう、そうだ」
 栞が相変わらず笑ってる。こりゃ完全に気付いてるな。北川はさっぱりみたいだが。
「そ、それじゃあ、あまり遅くならないようにね」
「うん」
 そそくさと俺たちは去って行った。
 そして……
 また茂みの中にいる。
 つまりは、帰ったように見せてぐるりと大回りして元の場所に戻ってきたというわけだ。
 俺たちが迂回している間に二人とも絵を描き終えたらしく、見せ合っている。
「わぁ、やっぱり北川さんって上手いですね」
 栞が感嘆の声を上げる。
「……」
 対する北川は、栞の絵を手にして暗く沈んだ表情をしていた。こいつのこんな顔見るの
初めてだな。
「北川さん?」
 不審に思った栞が心配そうに声をかけると、北川は、栞の絵を置き、そして栞が持って
いる自分の絵を奪い取るようにして取った。
「あ、何を!」
 北川は、自分の絵を破り捨てていた。
「畜生! やっぱり俺には才能が無いんだ。なんだこんなもの!」
 いや、そりゃあそれで飯を食えるほどじゃないかもしれないが、例えばコンクールで入
賞ぐらいはしそうな代物だったぞ。っていうか、それだったら栞はどーなる。
「くそ! 俺に栞ちゃんの半分、いや、十分の一でも才能があったら!」
 いいながら、破った絵を踏みつける。
 ……隣を見ると香里が唖然とした顔してる。たぶん、俺も似たような顔してると思う。
「なあ……」
「なによ」
「もしかして、わかる奴にはわかるってことなのかなあ」
「……あたし、絵のことはわからないから」
 それから落ち込む北川を栞が慰めていた。どう考えても逆のような気がしてならないん
だが。
「あ、腫れてます」
 さきほど男たちに殴られた北川の顔の各所が腫れ始めていた。けっこうボコボコの凄い
顔になっている。
「待っててくださいね」
 栞は噴水の方に歩いていくとハンカチを水に濡らして戻ってきた。
 冷たいそれで北川の顔を丹念に拭っていく。
「ありがと、栞ちゃん」
 なんつーか。あれだ。
 さっきから油断すると「なんかあの二人いい雰囲気だな」とかいいそうになってしまっ
て危険極まり無い。いった途端に隣におられる香里さんの怒りをぶつけられる可能性が高
く、北川のように不死身に近い生き物でない俺は一発貰ったら死ぬ。
「さっきの北川さん、かっこよかったですよ」
 栞が微笑み、その姉は俺の横で苦い顔になる。そうだよなあ、さっきの連中、口もきか
さず瞬殺してりゃあ北川の大立ち回りも無く、こうして栞の北川への好感度が上がること
も無かったんだからな。
「お願いした私がいうのもおかしな話ですけど、相手は五人もいたのによく立ち向かって
いけましたね」
「美坂のピンチなら、一万人でも関係ねえよ」
 さらりといって北川は笑っていた。こいつなら十万人にも平然と突っ込んでいくだろう。
そういうとこは認めてや……ってるんだろうな、香里も。さっきから不機嫌そうではある
けれど。
「それに、俺は男だからさ、女の子のことは守って上げないと」
「わ、それいいですね。男の子って感じです」
「へへ、実をいったら、俺より美坂の方が強いのはわかってるよ。さっきだって俺がしゃ
しゃり出なくてもどうにかしたはずさ。でも、俺は男の子だからな」
「はい、そうですね」
 嬉しそうに、栞が笑っていた。
「北川さん、頑張ってくださいね。私もその恋、応援しますから」
「んー、ありがたいけど、なんでまた俺なのかな」
 苦笑しながらいった北川の肩に、栞の頭が傾いて乗った。
「北川さんみたいなお兄ちゃんが欲しいから……じゃ、駄目ですか?」
 笑顔でいった。
 香里さんは……あ、怒るよりもショック受けてる。そりゃそうだよなあ。何時の間にか
外堀埋まってんだもん。
「ん?」
 北川が栞の顔を見ている。栞は目を閉じているようだ。
 時間が経っても栞が目を閉じたまま動かない。
「どうしたの、眠いの?」
 北川がそういった時にはもう眠っているようだった。
「まずいな、冷えてきてるし」
 北川は制服の上着を脱いで栞の体に被せた。
 そして、シャツを脱いだ。結局上半身裸になって、着ていたものを全て栞にかけた。
 次はズボンを脱ぎ始めた。
「殺す」
「まぁ、もうちょっと様子を見ましょう。香里さん」
 くそ、なんで俺がこげな恐ろしかことせにゃならんとですか。
 脱いだズボンを、北川は栞の足に被せた。
 陽も落ち、冷え始めた公園で、愛する女の妹に着ていた衣服のほとんどを被せて、北川
は微笑んでいた。
 つーか、はたから見たら眠っている少女の横にパンツ一丁で座って笑っている男だ。怪
しいことこの上無い。
 案の定、通りかかった警察官が二人、自転車を停めて近付いてきた。ホルスターの拳銃
から手を離さない警戒っぷりだ。
「君は、何をしてるのかね?」
 警察官が尋ねる。
「お巡りさん……」
 北川が顔を上げた。妙に澄んだ顔をしていた。
「これは愛ですよ」
 相変わらず、いってることがさっぱり理解できない。
「そうか、愛か」
 警察官は頷いた。……え、今、頷いたのか!?
「いやぁ、感心な青年ですね」
「うむ、警察の不祥事が騒がれている昨今、我々も見習わないといかんな」
「そうですね、先輩」
 警察官二人はうむうむと頷き合って北川を激励すると去って行った。
 お父さん、お母さん、今俺が住んでいる管轄の警察はまともに仕事をしていません。も
う勘弁してください。
 やがて、栞が目覚めると、北川が服を着て、二人は帰っていった。
 二人が公園を去るのを俺たちは見送った。っていうか、栞が俺たちのいる茂みに手を振
っているのを茂みの中から見送るのはかなり間抜けだと我ながら思った。
 香里が、すぐに帰ると栞と鉢合わせして、なんか気恥ずかしいから時間を潰していくと
いうのに付き合って百花屋に行った。
「ビール」
 香里が、注文する。俺が呆然としていると「相沢君もビールでいいわよね」と、ビール
をもう一つ追加した。
「知らなかったの? ここ、八時以降はお酒が出るのよ」
 初耳じゃ、そんなもん。
 そういうわけで、豚肉キムチ炒めを肴に、一杯二杯とビールを煽る香里さん。顔も赤く
なってきてるし、そろそろ帰った方がいいんじゃないかなあ。っていうか、俺が激しく帰
りたいんだが。
「なあ、香里。お前、実際北川のことどう思ってるんだ?」
 俺は意を決して尋ねてみた。香里が怒ったらその時はその時だ。俺を踏み切らせたのは
「殺されやしねえだろ」という曖昧な観測でしかなかったが……。
「どうって?」
 意外と冷静な声が返ってきたので、俺は勢い込んで言葉を続ける。
「そりゃ、どうしようもない馬鹿だけど、悪い奴じゃない……かもしれないと思わないで
もない」
 我ながら、玉虫色だ。
「悪いけど、男として、そう、恋人になる可能性のある異性としてなんて見れないわ」
 冷然とした声だ。こりゃとりつくしまも無い。
「でも」
 少し、声が湿ったように思えた。
「あの馬鹿、なんだか嫌いにはなれないのよねえ」
 やっぱり、そうか。
「あたしの何がそんなにいいんだか……」
 ビールがもう三杯目だ。これは本当にそろそろ帰った方がいいな。
「北川君も、もっとちゃんとしてくれたらねえ。顔は悪くないんだから」
 うむ、非常に一般的な意見だ。実際、俺たち男子の間でも、あいつは改めるところを改
めたらモテるはずなんだけど、って話になったことがある。
「あー、でも、ちゃんとした北川君なんて、その他大勢扱いでなんの興味も持たなくなり
そう」
 タチ悪っ!
「あたし、タチ悪いかな?」
「悪いわい」
「相沢くぅん、はっきりいい過ぎぃ」
 やばっ、相当酔ってる。ええい、さっさと帰れ。
 俺は香里を家まで送って、ようやくこの長い一日を終えたのだった。

 翌日。登校して教室に行くと、
「よう! 朝立ちしてるか!」
 馬鹿は相変わらずなのでいいのだが、香里がなんか沈んでいた。
「美坂〜、どうしたんだよ〜」
 北川も心配そうだ。俺には朝立ちの話しか振ってこないが。
 後で香里に尋ねると、
「実は……あれから帰ったら、丁度少し前に北川君が帰ったところで」
 どうやら、栞を送って行ってから北川はお茶でもご馳走になっていたようだ。
 そして、美坂父がいったそうな。
「いい青年じゃないか」
 なんか、美坂母もえらい御機嫌だったらしい。
「はぁ……そりゃ、嫌いじゃないとはいったけど……」
 内堀も埋まったようであります。
 後は、香里さん本人、本丸のみ。……肝心のここが難攻不落なんだけどさあ。まあ、頑
張れ北川。
                                     終

     次回予告

         今日も今日とて常識的一般人である相沢祐一は常識の
        枠外で生きる友人たちに振り回されていた。
         だが、そんな彼に突如生徒会長からの召還命令が。
        「相沢君、生徒会室まで同行願おうか」
         連行された生徒会室で祐一が見たものは?
         人を信じたい、その思いのために苦難の道を行く不器
        用な男たちを通じて男の好日とは何かを問う。
         鋭意製作中。




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