かのんイズム3






    まえがき

      この話は自称常識的一般人である相沢祐一の目を通して
      彼の周りの破天荒(キチ)な人物たちを描き、男の好日
      とは何かを問う話です。
      今回からボチボチとオリキャラなども登場しますが、な
      にしろ男の好日とは何かを問う話なので仕方が無いと諦
      めてください。


「んーーー」
 北川(馬鹿)が何やら難しい顔をして鉛筆を握っている。その鉛筆を縦にして、その向
こうにいるのは美坂香里だ。
 馬鹿(北川)は、英語の授業中に美術の自習を敢行して隣席のクラスメートのスケッチ
に励んでいるのであった。
 やがてチャイムが鳴って、今日のお勤めはつつがなく終了した。午前中に北川が香里に
一発殴られていたが、そんなもんは日常茶飯事なのでカウントされない。
「へっへー、できた」
 北川が満足そうに鉛筆を置く。
「美坂美坂、これ上げる」
 香里の横顔を柔らかいタッチでスケッチしたそれを北川が満面の笑みで香里に渡す。
「あー、はいはい、ありがと」
 いかにも面倒臭そうに受け取ってカバンに仕舞う香里。
 クラスの人間からは「どうせ捨てられるのに」と、北川を哀れむ視線が集まっている。
 だが、俺は名雪から聞いて、実は香里が「なんか捨てられない」といって今まで貰った
絵は全部保存しているということを知っていた。
 こいつもこいつで色々と問題はあるけれど、いい奴だと思う。とにかく、色々と問題は
あるんだが。
「さぁて、帰るか」
 名雪が部活なのはわかっていたから、北川と香里と、都合が良ければ栞も誘って寄り道
でもしてこうかと思った時、教室に誰かが入ってきた。空気が妙に強張るのがわかる。
 なんだ、と思ったら生徒会長だ。いつもそうなのだが、いつにもましてしかめっ面だ。
 生徒会長の久瀬はこっちにやってくる。この馬鹿、またなんか悪さしたようだな、と俺
は北川を見た。
 久瀬が来た。
「相沢君。生徒会室まで同行願おうか」
 ……な。
「お、俺!?」
 思わず自分を指差した。
「相沢〜、なんか悪さしたのか?」
 まさかこの馬鹿にこんなこといわれる日が来るとは思わなかった。そりゃあ、以前、知
り合いの先輩の一件で転入早々生徒会と揉めた前科のある俺だけど、最近は目をつけられ
るようなことはしてないぞ。
「相沢君は北川君と違って巧妙なタイプだから、今まで表に出てなかったのね」
 香里さんまでそげなこといわはるとですか。
 その時、ぼそっと誰かが呟いた声が聞こえてきた。
「所詮、相沢もあっち側だよな」
 ちょっと待て、君たちぃ。いつもいつも北川の馬鹿には参ったもんだ、僕たちもっと平
穏な学園生活が送りたいのにねえ、って一昨日ぐらいにしみじみと語り合ったばかりじゃ
ないか。
「さあ、早くしてくれたまえ」
「ちょっと待て、てめえ、久瀬、コノヤロウ」
「なにかね?」
「このままでは誤解を招く。一体なんで俺を呼び出すのか、この場で理由を説明しろ」
「ふむ」
 久瀬は頷いた。
「よろしい、君の名誉のためにいうが、この度、生徒会室に来て貰うのは君自身が何かを
したためではない」
 俺は、ほっと胸を撫で下ろした。だけど、それはそれでおかしいじゃねえか。
「なんで呼び出されないといけないんだよ」
「君は彼女の連帯保証人みたいなものだからな」
「彼女?」
「川澄さんだよ。先ほど、窓ガラスを十枚ばかり割ってくれてね。今、生徒会室に拘禁し
てある」
「な、そんな馬鹿な!」
 確かに、川澄さんこと川澄舞は以前に学校の器物を破壊したことがあった。しかし、そ
の原因は取り除かれ、舞はもうそんなことはしないはずだ。
「い、いや、きっと何か理由があるに違いない」
 とはいうものの、以前はその理由があらかじめわかっていたが、今回ばかりは舞がなぜ
そんなことをしたのかわからない。
「ちなみに、君の名前を使わせてもらった」
「俺の?」
「おとなしくしないと相沢君にも迷惑がかかるぞ、とね。すまんが、そうでもせんと我が
生徒会執行部に怪我人が出そうだったのでね」
 気分を害さなかったわけじゃないが、ここで舞が生徒会の人間を傷付けようものなら今
度こそ退学は間違い無い。そう思えば、そこでそういった「狡猾」な手段で舞を押さえて
くれた久瀬には感謝しないといけないかもしれない。
「そういうわけで責任とってくれたまえ」
「どういうわけだよ」
「だから、君は以前、川澄さんが今度何かしたら自分が全ての責任を取る。切腹上等。と
いったではないか」
 ……。
 さっぱり覚えてましぇん。
 俺、そんなこといったか?
「北川君。君は確かあの時、どこからともなくやってきてその場にいたな」
「ああ、全然覚えてねえ」
 よっしゃ、馬鹿最高! 馬鹿ありがとう。馬鹿よ永遠に。
「しょうがないな、こういうのは使いたくなかったが……」
 久瀬が内ポケットから取り出したのは……テープレコーダー! こいつ、録音してたと
いうのか。
 久瀬が再生ボタンを押す。先ほどからクラス中の人間が成り行きを見守っていたが、み
んな口を閉じて耳を傾ける。

「名雪……俺には、奇跡は起こせないけど」

「あ、間違えた」
「待て、てめえ、久瀬、コノヤロウ!」
 間違えたじゃねえだろ、間違えたじゃ。どこでどう何を間違ったら俺のステキ告白がお
前の懐から出てくるんだよ。
 うあー、さぞやみんな爆笑の渦に……って、あれ? さほどでもないな。
「ああ、これなぁ、久瀬も持ってたんだ」
「まあ、笑えるけど、何度も聞いてるとね」
 北川と香里がいう、そしてそれに、うんうんと頷くクラスメート。
 いや、待て、さっきからこればっかりだが、ちょっと待て、コノヤロウ。
「てめえら、もう散々聞いたような口ぶりしやがって、どこで手に入れた!」
「ああ、水瀬」
「名雪がくれたわ」
「水瀬さんから」
「名ゆ! ……」
 俺が叫びながら振り返ると、斎藤が捻れながらふっ飛んでいるところだった。
 空中を疾走して窓枠に足をかける水瀬名雪。ちなみに俺はこの生き物と血が繋がってい
ます。
「部活に行かないと! わたし、部長さんだから!」
 そうおっしゃって窓から飛び降りる陸上部部長。
 畜生。逃げられた。
「今日は白。んー、ここんとこ白ばっかりだな」
 物足りなそうに呟く斎藤。毎度毎度うちの従姉妹があんなのですまん。
「相沢君。あの子も悪気あってのことじゃないと思うから、許してあげてね」
「そうだぞ、水瀬はピュア過ぎるぐらいにピュアな奴だ。きっと嬉しくて嬉しくて、思わ
ずみんなにテープを配っちゃったんだよ」
 嬉しくて嬉しくて、ピュアな奴が何十本もテープダビングするんか、コラ。
「しかしだな、ピュアといっても……」
 疑問を呈するのは久瀬だ。これに関しては同意見なのはこいつだけか。
「なにいってんだ、久瀬。水瀬を信じてやれよ。人を疑うばかりじゃ、何も生み出せない
ぜ」
 馬鹿が人のよさそうな顔してほざいている。いや、お前、少しはおかしいと思ってくれ。
頼むから。
「そうだな……そうかもしれない」
 おいコラ。全生徒中、一番疑り深いお前がなんてことだ。
「君たちには色々と教えられるな」
「は? 俺らが教える?」
 北川が不思議そうにいうのに、久瀬は笑顔で返した。
「ああ、人を信じる、ということをね」
 照れ臭そうな笑顔だった。こいつこんな顔ができるのか。
「今まで、信頼される生徒会長になろうと思って、でも、それがいまいち果たせていなか
った。それは僕がまず人を疑ってかかっていたからだ。信じられるには、まず自分が勇気
を出して人を信じるべきなんだ」
 いや、いってることは素晴らしいことだと思うんだが、お前、本当に久瀬か? UFO
に拉致られてなんか埋め込まれたんじゃあるまいな。
「そうだよ、久瀬! 俺たち一人一人は弱い人間だ。だからこそ、信じ合って結束しない
といけないんだ」
 いや、それも素晴らしく正論だと思うんだが、一人で密林に放り出されてもその場の環
境に適応して生き延びそうな生き物がそんなこといってもいまいち説得力に欠けるぞ。
「ああ、人を信じるって素晴らしい。僕は、水瀬さんを信じる! このテープを貰った時
に聞いた水瀬さん似の声の『これでみんなが証人だよ〜、もう逃がさないよ』っていうの
は空耳だったに違いない。うん」
 そういうことは早くいえ、コノヤロウ。
「おう、そういわれたら俺もテープ貰った時に『次は安全日だって嘘ついて子宝をゲット
だよ〜』って声を聞いたような気がしてしょうがないんだけど、あれも空耳だな!」
 ちょっと待て、コラ。……これ、今日で何度目だ。
「人を信じることは〜♪」
「勇気の要ることだけど〜♪」
 人間的にはどうかと思ってたが、それなりにまともだと思っていた生徒会長が馬鹿化し
て馬鹿とミュージカルです。どうせいちゅうんじゃ、こんなもん。
「相沢。安心して水瀬に中出しするんだ」
 うるせえ、馬鹿。
 俺、あいつの「今日は大丈夫な日だから」は金輪際信用しねえ。とりあえず人は疑って
かかろう。
「もう観念すればいいのに」
 香里さんは名雪側でありますか。

「ええい、わかった。行くよ。舞をほうっておくわけにもいかねえし」
 と、いうわけで、この話を引っ張りたくないのと、本気で舞を心配する気持ちもあって、
俺は生徒会室に行くことにした。なんかハメられたような気がせんでもない、久瀬の野郎、
本当に俺が「切腹上等」とかいったの録音してたのか? 記憶に無いんだが。
「朋友として黙ってられねえ」
 という北川と、それに無理矢理引っ張られて渋々と香里がついてくる。
「しかし、お前、人を信じるって素晴らしい、とかいうなら、舞のことも信じてやれよ」
 俺がなじると、久瀬は苦笑する。
「そうはいっても、あの人は相変わらずのだんまりだ。これでは信じる信じない以前の問
題だろう」
 ん、まあ、それは一理あるが。
「君を呼んだのはそういう意味でもあるんだ。彼女、君には心を開いているようだからな」
 おう、なるほど。
 よし、そうとわかったら。俺が舞と話してみよう。きっと、また以前みたいにそうしな
ければならない理由があるはずだ。
 生徒会室には舞がいた。
 何やらギザギザしたものの上に正座させられている。なんだこれ、まるで拷問じゃない
か。
「おい、どういうことだ! お前ら、舞を拷問してるのか!」
 俺は激昂して久瀬に詰め寄る。
「慌てるな。あれは雰囲気だ」
 そういうと、久瀬が舞の下にあるギザギザを指でつつく。
「固めのスポンジだ。この上に正座すると足の血行がよくなる」
「紛らわしいことすんな!」
「政治とは、イメージ戦略なのだよ。実像よりもイメージで人は判断する。イメージばか
りで実像を見ない人間を馬鹿にするのは容易いが、それが現実、現実がそうである以上、
それに合わせねばならん」
 この馬鹿会長は生徒会にどういうイメージを持たせようとしてるんだ。
「さぁ、頼むぞ。相沢君」
「ああ」
 俺は、舞の前にしゃがみこんだ。
「舞、窓ガラスを割ったそうだけど、何か理由があるんだろ? 俺にいってみろよ」
「……」
 舞は、沈黙している。ちらちらと久瀬を見ているようだ。
「あれはあれで少し、いや、かなり問題はあるけど、根っからの悪人じゃない、と思わな
いでもない。ちゃんとした理由があってのことなら久瀬だって話を聞いてくれるさ」
「窓ガラスを割ったのは……」
「おう、なんでだ?」
「……理由無き反抗」
 無えのかよ!
 少しは俺の立場も考えてくれ、こん畜生!
「参ったねえ。君に嘘をつくとも思えないし、本当に理由が無いとは」
 久瀬が困った声でいいつつ、手を振っている。生徒会の人間が俺を包囲していた。……
逃がさないつもりだな。
「ねえ」
 と、いったのは香里だ。
「なにかな?」
 さすがの久瀬も、香里には一目置いているようだな。
「もしかして、川澄さん。反抗期なんじゃないかしら?」
「あ」
 俺と久瀬と北川の声が重なった。
 そうか、反抗期か。そういえば反抗期には特に理由もなく反抗したり暴れたりしたくな
るものだな。
 高校三年生で反抗期とは少し遅いような気もするが、なにしろ舞は今まで特殊な人生を
歩んできたからなあ。つい先ごろになってようやく人並の平穏な生活をするようになって、
今になって反抗期が遅れてやってきたのかもしれない。「魔物」と戦っていた日々には、
反抗期になんかなる暇も無かったんだろう。
「うむ、反抗期ならばしょうがない。誰にでもあることだからな」
 おお、いつになく物分りがいいな。そんじゃ、俺たちは帰らせてもら……。
「それでは、今回の窓ガラス、それからこれから川澄さんによって損害が発生した場合は
それの請求書も全部君に回すから」
 涼しい顔でいいやがった。
「ちょっと待て、おい」
 そんなもん回された日にゃ、あっという間に破産宣告だぞ、俺は。
「なんだ。金が無いのか」
「あるわけねえだろ」
 こちとら居候先の家主に申し訳無いと思いながら小遣い貰ってる身だぞ。
「佐祐理さんに頼んだらいいんじゃねえの?」
 北川がいった。
 あ、それいいかも。佐祐理さんならそんぐらいぱぁーっと払ってくれそうだ。
「待って、佐祐理は駄目」
 舞が、俺の腕を掴んで首を振る。
「見ての通りだ。僕だって、最初はまず君よりも倉田さんに持っていこうとしたんだ。し
かし、どうしても知られたくないというんでね」
 そういって、久瀬が苦笑する。
 そうか、佐祐理さんに迷惑はかけたくないというんだな。
「あー、俺がなんとかするしかないかー。いくらだよ、ガラス代」
「業者に問い合わせたわけではないが、以前の例から考えてこのぐらいだな」
 何やら計算式の書かれた紙を久瀬が机上から取り上げて俺に見せる。この一番下の、丸
をつけてある数字がそうか……。
 こんな金、逆さに振っても出やしねえぞ。
「相沢相沢」
 北川がニコニコしながら話しかけてくる。
「金だったらあれだ。駅前にある店が担保無しで貸してくれるらしいぞ」
 金の話をしとるんだ。好意だけ受けとっておくから馬鹿は黙っててくれ。
「あー、どうしたもんかなあ」
 俺が頭を抱えていると久瀬が携帯電話を取り出した。
「はい、久瀬ですが。ああ、はい……そうか、相沢君のクラスの人間からの情報ですか。
いや、それよりもなぜ僕の番号を……かないませんね、まったく。うん、やはりそれがい
いでしょうね。では、そういうことで」
 電話を切った久瀬が微笑んでいた。
「ガラス代、払わなくていいよ。川澄さんに一週間の停学処分を下す代わりに学校が払う
ことになった」
「な、本当か」
 一週間の停学処分か、舞の場合、前科のことを考えると、それでも軽い方か……。
 久瀬が俺に近付いてきて耳打する。
「……と、いうことにしておいてくれ。今の電話、倉田さんからだったよ」
 あ、なるほど。
「停学一週間というのは既に決まっていたことだ」
 本来は、そのうえにガラス代も弁償させる予定だったのだが、そちらは佐祐理さんが払
ってくれるということか。
 しかし、それにしても佐祐理さんに迷惑をかけまいとする舞に、それを察して舞に自分
の助けであることを明かさずに救いの手を差し伸べた佐祐理さん。なんだか、いいな、と
俺は思った。友とは、かくありたいものだ。
「相沢相沢、風水クリスタルだよ。クリスタルのパワーを風水で増幅させた優れものだ。
これを身につけて競馬とかやったら勝ちまくりらしいぞ」
 もう金のことはいいんだって、っていうか、そんなエロマンガ雑誌の裏表紙を信じるな、
友よ。
「よし、それじゃ帰ろうか。みんなで百花屋でも寄っていかないか」
「お、いいねえ」
「んー、あたしはどうしようかしら」
「美坂も行こうぜ〜、バイト代入ったから奢るぜ」
「変なこと企んでなかったら、ありがたく奢られてあげるわよ」
「なにいってんだよ、一つのジュースに二本のストローなんてミジンコほども考えていな
いさ」
「やっぱり行かない」
「はっはっは、隙を見て美坂のストローと俺のを交換しようとしてただけだ」
 もっとタチ悪ぃじゃねえか。
 とりあえず、ぼこん、と一発殴られた北川がふっ飛んだ先に舞がいた。だが、さすがに
舞だ。冷静に、飛んできたそれをかわして……チョップだ。強烈なそれは北川を床に叩き
つける。
 ……なんだ。香里ならともかく、舞らしくもないな。舞は、戦うことに優れてはいても、
その力を無闇に振るう人間じゃないはずだ。舞ならば北川にダメージを与えずに今のをや
り過ごすことができたはず。
「川澄さん、手ぇきれいっすね」
 顔面にチョップ叩きこまれながらそんなことしか見ていないような馬鹿だからよかった
ものの、他の奴なら怪我してたぞ。
「相沢君。どうやらあっちをなんとかしないといけないようね」
 むう、そうだなあ。
 このままだとまた似たような事件を起こしかねない。そのうちに佐祐理さんでも庇いき
れないことになってしまうかも。
「しかし、どうすれば……」
「反抗期というのは先ほどいったように誰にでもあるものだ」
 久瀬がいう。
「だが、それでも窓ガラスを割ったりと、そこまで暴力的な行動に出るのは一握りだ」
「まあ、そうだよな」
「思うに、そういう人間というのは不器用なのだ。その鬱屈した気持ちを発散する術を知
らない。僕はあまり彼女を知らないが、やはり不器用な人なのではないかな?」
 うぬ、その通りだ。舞はとにかく感情の表し方とかが不器用だ。
「おう、俺もそうだったからちょっとわかるよ」
 と、いったのは北川だ。回復の時間から推測すると、舞のチョップと香里のパンチはほ
ぼ同程度の威力のようだ。さすがだな、舞。
「俺も、反抗期には奇行の数々で知られててな」
 いや、今もそうだろ。
「誰彼かまわず噛みついて、まるで狂犬さ。ついには誰も目ぇ合わす奴がいなくなった。
ここらで最大っていう暴走族にも喧嘩売ってな。百人ぐれえいたけど、みんな泣きながら
逃げてったよ」
 おいおい、それってすげえ武勇伝じゃないか。マジか。
「へっ、連中、馬鹿がうつる、とか負け惜しみいってたっけ」
 やたらと説得力があるな、その負け惜しみ。っていうか、連中は心の底からそう思って
たんじゃないのか。
「だから、川澄さんを俺みたいにしたくないんだ。相沢、なにかいい方法を考えようぜ!」
「おう!」
 舞をお前みたいにしてたまるか。
「とりあえずグレてみてはどうかね?」
 生徒会長がいうこととも思えないことをのたまう久瀬。
「僕としてはどうせ暴れるなら、ガラスを割ったり、真面目な生徒に危害を加えるのでは
なく、不良を駆除して欲しいね」
 相変わらずな久瀬の物言いだが、一理はある。っていうか、むしろそれで舞の人気を上
げることはできないか? 未だに舞のことを危険人物と思っている生徒は少なくない。
 しかし……。
「この学校って不良いないよな」
 けっこうレベルの高い進学校らしいので、当然かとも思えるが……そう考えると馬鹿が
平然と在学してるのがおかしな話なんだけど。
「ああ、ちょっと前までいたんだけどね。みんな中退してしまったよ。丁度、君が来てす
ぐだから、あまり見なかったのも無理は無い。元々、数はあまりいなかったし」
 そうか、しかし、なんだって……。
 俺の疑問を表情から察したのか、久瀬がなにやら意味ありげな目線を香里と北川に送っ
ている。
「ん?」
「そこにいる美坂さんが、妹さんの復学が決定したその日のうちに主だった連中を病院送
りにしてしまったからね」
 香里がそっぽ向いてる。いや、栞を守るためとかいってこいつならやりかねん。
「まあ、その後に、残った下っ端連中をこれまた病院送りにしたのは彼だが」
「へへー」
 馬鹿が笑っている。
「何してんだよ、お前は」
「いやー、美坂から煙草の臭いがしたんだよ」
 ああ、その主だった連中とやらをボコった時に臭いが着いたんだな。
「だから、学校で煙草吸ってる奴らを片っ端からぶっちめてやったんだ。みんな病院のベ
ッドの上から退学届出したってさ、ちょっとやり過ぎたかな。まあ、こっちもけっこう殴
られたしな」
「なんだってそこまで」
「でも、だって、煙草の煙なんか美坂が吸ったら、ほら、将来赤ちゃんを産む時に悪影響
がさ、ね」
 何をモジモジしとるんだ、こいつは。
「ね、美坂」
「……」
 香里さん、目ぇ合わそうとしません。なるほど、この調子で誰にも目を合わされないよ
うになったのか。
「よし、川澄さんよ、グレるのだ!」
 そんなことでかい声でいっていいのか、生徒会長。
「そうだ。グレるんだ。グレてグレてグレまくれ!」
 馬鹿、ちょっと待て。
「はぁ……ま、しょうがないわね」
 香里さん、さっさと諦めないで下さい。
「……わかった。やってみる」
 う、舞は一度決めたら引かないからなあ。
「そうか。でも、怪我しないようにしろよ」
「はちみつくまさん」
 そうして、舞はグレることになった。

 翌日、停学中の身なのでちょっとコソコソと舞がやってきた。
 スカートが心持長くなっている以外は全く変わっていない、いや、剣じゃなくって木刀
を持ってるな。
「グレるの、よくわからなくて」
 まあ、そうだろうな。
「髪を染めた方がよかった?」
「いや、そのままでいいって!」
 せっかくの美しい黒髪を染めることは無いと、俺は思う。
「で、その木刀は?」
「久瀬に貰った。さすがに本身を振り回すのはまずいと」
 ふむ、そうだな。それに、舞ほどの者になれば、木刀でも十分過ぎるほどに威力がある
だろう。
「それじゃ、行ってくる」
「どこかに行くのか?」
「停学中、日本の色んな所に行ってくる」
「色んな所って、日本中で喧嘩売ってくる気か?」
「……腕が鳴る」
 反抗期は継続中か。舞さん、ちょっと今の顔は怖かったっす。

 あれから、一週間が過ぎた。
「よぅ、相沢。帰ろうぜー」
 北川がいうので俺は立ち上がる。香里も名雪もカバンを持って俺が立つのを待っていた。
 名雪は今日は部活が無いので久しぶりに一緒に帰れるとあって嬉しそうだ。
 ……結局、あのテープのことは追求できず仕舞いなんだけど。
 廊下を歩いていると一年生の女の子が何人か北川に声をかけてくる。
「おーぅ」
 それに気さくに答えながらも、北川の心は隣を歩く香里にばかり行っているようだ。そ
の後ろには俺と名雪が歩いている。
 と、同学年らしい女の子の会話が耳に入ってきた。
「この前、繁華街で絡まれてたら三年の川澄さんが助けてくれたの。怖い人だと思ってた
けど、いい人みたいだよ。凄くかっこよかったし」
 なんだなんだ、早速やってるみたいだな。この分だと舞が人気者になる日も近いか。あ
の容姿だし、お姉さまとか呼ばれてファンがついたりしてな。
 そのまま表に出る。百花屋に向かって歩いていく。名雪の部活が休みの日は、もはや恒
例といってよかった。時々栞も一緒に来て、そうすると香里がアイスを奢ってやる。気前
のいいことだと思っていたら、そうしないと北川が奢ってしまって「わぁーい、北川さん、
大好き♪」になるからだという。なんか、アイスのためなら魔性の女にもなりかねない栞
に、いいようにされてるような気がせんでもない。
「む!」
 俺は前方を見て眉を顰めた。あんまりガラのよくなさそうなのが数人路上にたむろって
いる。百花屋に行くにはこの道が最短距離なのだが、今からでも進路変更は可能。
「そんで、これがまた大変でなー」
 しかし、横の香里しか見ていない馬鹿がずんずんと先に行くのでしょうがない。まあ、
いざとなったら名雪は自慢の脚力で逃げられるだろうし、不死身の北川と香里さんだ。俺
も、自分一人の身を守れるぐらいの自信はある。
 俺たちが近付いていくにつれて連中の表情が非友好的になっていく。
 俺と北川だったらどうってことないけど、名雪と香里がいかん。こいつら、なんだかん
だで無茶苦茶可愛いんだよなあ。ああいう連中に変な気起こさせるに十分だ。
 案の定、男の一人が足を出す。
 案の定、北川が思いきり足を引っ掛けてこけた。
 ばたーん、と、なんでそこまで凄まじい勢いで倒れるんだ、というぐらいの勢いで北川
の顔面がアスファルトを打つ。足かけた当人が一番驚いてるし。
 男たちが一斉に笑った。
「てめえら……」
 顔面をぴくぴくさせながら北川が立ち上がる。
「俺が倒れた風圧で美坂になんかあったらどうすんだ、コラァ!」
 香里が絡むと物凄い理由でキレるな、この男は。
「あーもー、しょーがねえな」
 否応無しに喧嘩は始まってしまった。北川の足引っ掻けた奴が思い切りぶん殴られてる
し。あいつ、自分の拳痛めることを考慮しないで殴るから強烈なんだよなぁ。
「名雪、危なくなったらさっさと逃げろ。どこまでも逃げろ」
「う、うん」
「まぁ、とりあえず、あの人数ならあいつ一人でなんとかなるだろうから、俺たちは見て
ようぜ」
「……相変わらず無駄が多い戦い方ね」
 だ、そうです。
 って、なんかぞろぞろ来たぞ、こいつら、全員仲間か?
「うわ、この人数はやばいかも」
「しょうがないわね、一応、あたしのために怒ったみたいだし、助けてあげようかしら」
 どうせ、後でなんか奢らせる気だろう。まあ、北川が嬉々として奢るだろうから別にい
いんだけどね。
 さてと、そんでは俺は香里さんの後ろに隠れて近付く奴だけをあしらうか。……情け無
いって? こいつらと一緒にすんな。
 その時、爆音が近付いてきた。バイクのエンジン音か?
 やばい、さらに新手か? こりゃ香里さんに本気出してもらうしかなさそうだが、って、
あれ? 舞じゃないか。
 木刀を肩に担いだ舞が、馬鹿でかいナナハンのバイクのサイドカーの上にちょこんと正
座している。そのバイクを運転しているのは、これまたごっつい男だ。2メートル以上あ
るんじゃないのか。
「待て、うちの学校の生徒をいじめると許さない」
「なんだぁ、てめえら」
 男たちが、ややビビりつつも食って掛かる。いや、まあ、そりゃなあ、その後に続くバ
イクに乗ってるのも、一筋縄ではいかなそうな連中だ。真っ白い特攻服で日の丸の鉢巻し
てる奴がいれば、学ランを着て胸をはだけてベルト代わりに荒縄をズボンに通している奴
もいる。
「おい、まさかこいつら……」
 連中の一人が途端に怯えを表情に顕にした。
「ここらで最近暴れてるっていう……」
「ま、まさか」
 男たちが後ずさる。
「か、川澄一家!」
 いや、もう、俺には何が何だか。
「あれ、川澄さんだよな?」
 なんか、男たちがあっちに注目してしまって手が開いた北川が俺たちの方へ戻ってくる。
「祐一たちをいじめる奴らは、特に許さないから」
「おぅ、待ってくれへんか! 姐さん!」
 姐さん!?
 舞のサイドカーの元のバイクを運転しているでかい男がいった言葉に俺たちは言葉を失
う。
「こないな小者に自ら出張ることは無いですわ。わしが代わりにぶち殺してやりますさか
い。安心して、この岸和田のマサに任せとくんなはれ」
 男が、バイクを降りた。うわ、改めて見るとホントでけえ。
「おうおうおう、待ちねえ、兄貴」
 そういったのは、学ランの男だ。他の二人と比べるとやや小柄で、俺や北川より低いぐ
らいだが、その顔からは闘志以外のものが沸かぬかのように、好戦的な様子だ。
「そういうことなら、姐さんはもちろん、舎弟頭のあんたの出る所でも無えぜ。露払いは
この浅草の暴れん坊こと、明王のヤスに任せてくれねえか」
「待たんかい!」
 特攻服が口を挟んできた。背中に負った日本刀を引き抜いている。
「兄弟がやるいうなら、わしもやらないけんのう。おどれら、山陰にその名の聞こえた段
平のタツに斬られたい奴から前に出んかい、おう!」
 いや、もう、ホント、どうせいちゅうのよ、これ。
 っていうか、俺は一体どこで間違ってこんな世界に迷い込んでしまったんだろう。
「あの三人……強いわね」
 香里さんがそういわれるということは、相当だな。
 一体一週間に何があったのか、なんで舞がそげな人たちに姐さんと立てられて一家を形
成しておるのでありましょうか。
「う、て、てめえら、あんまり調子に乗ってんじゃねえぞ」
 男が虚勢を張るが、目の前を段平が一閃すると脆くもそれは剥がれた。
「お、覚えてろよ!」
 人間、切羽詰ってさらに虚勢を張ろうとすると、そんな陳腐な言葉しか出てこないもの
らしい。
 男たちはそれこそ蜘蛛の子を散らすように逃げた。
「……大丈夫?」
 舞が、サイドカーから降りてきた。
「ああ、大丈夫だよ。こいつがちょっと殴られたけど、すぐ治る」
「おう、大丈夫だ」
 北川が高らかに笑う。実際、二、三発殴られただけだから、こいつにとっては怪我にも
入らないだろう。香里が「強めに撫でた」よりも効いてないはずだ。
「いや、ありがとう。助かったよ」
「……」
 無言だが、とても嬉しそうだ。
「姐さんの友人の方ですな」
 例のでかい、岸和田のマサと名乗った男が腰を屈めて近寄ってくる。いや、それでも遥
か上に頭があるんだけど。
「わしら三人とも、思い上がってさんざ悪さしてきたが、姐さんに性根を叩きのめされ、
この人に着いていってホンマの男になったろやないけ、と一念発起してこの地にやってき
た者だす。仁義もロクにわきまえんボンクラでっけど、何卒、よろしゅう」
「……はい、お願いしまーす」
 うわ、声裏返っちまった。
「よろしくお願いしますね」
 香里は悠然としてるな。
「うっす、俺、北川っていいます。よろしく」
 こいつは、とことん自然体だなあ。
「お願いします」
 名雪は、こいつはこいつで自然体。なんだよ、固くなってんの俺だけかよ。
「それじゃ、私は巡回があるから」
 そういうと、舞はまたサイドカーに正座した。
「みんな、守るから」
 そのまま「川澄一家」は走り去っていった。
 ……これでよかったんだろうか。

「今度、川澄さんが警察に表彰されることになったぞ」
 数日後の昼休み、飯を食いながら久瀬がいった。なんか、この男はこの前の一件以来、
うちの学校一の問題児と友情が芽生えたらしく、時々やってくるようになった。
「この前は美坂さんが表彰されたばかりだし(かのんイズム1参照)なかなか鼻が高いと
いうものだな」
 つーか、この町の警察はどうもロクに仕事しとらんように思えてならねえなあ。民間の
功労者を表彰しとけばいいと思ってるんじゃなかろうか。
「川澄さんはつい最近一度退学になった生徒だったからな、それが警察に表彰されるんだ。
おかげで退学取り消しを主張した僕への評価はうなぎ上りだよ。笑いが止まらんな」
 この男は……。
「お前なあ、そもそも舞の退学はお前が陰謀巡らしたからだろうが」
 俺はたまらずに食って掛かる。
「それについては否定はせんよ。でも、彼女が隙だらけだったのも事実だ。いくらなんで
も隙の無い生徒を退学にすることなどできんよ」
「それはそうだがなあ」
 確かに、舞は誤解を受け安く、また本人がそれを自覚していないところがある。
「そもそもあれは、反生徒会の連中との政治闘争のつもりだったからな。倉田さんを彼ら
に担ぎ出されてはたまらんのでね。政治闘争なのだから陰謀ぐらいは巡らすさ」
 クラスのみんなが聞き耳立ててるのに平気でそんなこといってるこいつはもしかしたら
大物なのか。
「おぅ、美坂美坂、なにいってるかわかる?」
 それとも、こいつと同様の馬鹿か、だな。
「僕がこの前の一件で反省しているのは、川澄さんの脅しを恐れて引いてしまったことだ。
情けないことだ」
 久瀬が、自嘲的な苦笑をする。
「まあ、僕もあれから色々と考えた。どうやら、倉田さんは反生徒会に関わる気は無さそ
うだし、それに……」
 俺を見て、久瀬はすぐに目を逸らした。
「あの時の君の言葉、なんだったかな。生徒会は生徒の味方をするものだ、か。陳腐極ま
りない青臭い意見だ」
 悪かったな、コノヤロウ。
「しかし、一理ある」
 目を合わそうとしないが、横顔を見ても、久瀬の奴が困ったような表情をしているのは
わかった。
「困ったことに、一理あるのだよ。まあ、政治闘争の方が大事ではあるんだが」
「お前なあ……」
 最早俺はこの男に意見する気力が無い。舞にもう手を出したりしないようだという確信
があるせいでもあるが。
「川澄さんを更正させたことと、倉田さんを取り込んだことで僕の権力は確立された。こ
れからは生徒のために働こうと思う」
 んー、こいつ、あれだな。
 基本的に臆病なんだろうな、だから、怯えの元が無くなれば、生徒会長として普通に頑
張ろうとか思うこともあるってことか。
「おう、頑張れよ久瀬。俺も力貸すから」
 北川が久瀬の背中を叩く。お前が力貸したらえらいことになりそうで俺は不安だ。
「うむ、それでは昼休みも終わりそうなので失礼する」
「おう」
「おーぅ」
 久瀬が教室を出ていった。
「あいつ、案外これからいい生徒会長になるかもな」
「ああ、なるさ、絶対に」
 北川が俺の言葉に深く頷いた。
 俺の希望的観測は、やや当たり、やや外れるのだが、それはまあ後日のことだ。
 
                                      終

   次回予告

      みんなが待ちに待っていた修学旅行が近付いてきた。
      だが、学校側が生徒たちにある一つの要求をする。
     「いや、どんなに馬鹿といわれても、俺は美坂のことで嘘をつきた
     くないんだ」
      権力に屈せず、自らの意志を貫いた男の苦闘を通して男の好日と
     は何かを問う。




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