まえがき この話は自称常識的一般人である相沢祐一の目を通して 彼の周りの破天荒(キチ)な人物たちを描き、男の好日 とは何かを問う話です。 今回は冒頭部がいかがわしいですが、なにしろ、男の好 日とは何かを問う話なので仕方が無いと諦めてください。 「お姉ちゃーん」 妹の栞が突如風呂場に入ってきた。一糸まとわぬ裸形である。 丁度湯船につかっていた香里はその姿をうっとりと眺める。白く滑らかな肌が美しい。 「私も一緒に入るね」 「え、ちょっと」 嬉しいのだが、香里は戸惑う。自分は今、見られてはいけない状態になっている。でも 栞はかまわずに湯船に近付いてくる。 「お姉ちゃん、背中流してあげ……どうしたんですか?」 香里が背を丸めて体を隠すようにしているのを不審に思った栞が尋ねる。 「恥ずかしいじゃない、一緒に入るなんて」 「何をいってるんですか〜、そんなにいいスタイルしてるのに」 栞がちょっと膨れたようだ。 「姉妹なんだから、恥ずかしがらないで、ね」 栞はちょっと意地悪してみたくなって姉の手を持って強引に湯船から出そうとする。 「こら、止めなさい。止めなさいってば」 思っていた以上にいつも冷静沈着な姉が慌てるので一層楽しくなって腕を引っ張り上げ る。 「いいからいいから、可愛い妹が背中を流してあげるといって……」 栞の声が消える。表情も凍りついたようだ。 凍りついた笑顔というのは、無表情よりも無機的な印象を見る人に与える。栞のその時 の顔がそれだった。 「な、な、な」 姉の腕を掴んでいた手を離し、後ずさる。無意識のうちに右手で胸を、左手で秘所を隠 していた。先程まで姉妹なのだからと堂々と裸体をさらしていたのと同じ人間には見えな い。 「そ、そ、それって」 あまり異性と付き合った経験が無い栞にも、それが何かはわかった。 「えぅ〜、なんでお姉ちゃんにそんなものが〜、お姉ちゃんが実はお兄ちゃんだったなん て〜」 最早何が何だかわからなくなって錯乱しているが、それも無理はないだろう。 「うふふ」 艶然と笑う大好きなお姉ちゃんの股間に立つ肉の棒。 学校の男子の全員が敗北を認めて落ちこんでしまいそうなサイズのそれ。 「見ちゃったわね。栞」 それは、正しく、男根であった。 「あうあう、えうえう、あうえう、えうあう」 両目を潤ませへたり込んで怯えた上目遣いで自分を見る妹に香里は微笑みかける。 「今まで隠しててごめんね、栞」 「い、い、一体どういう……」 「特異体質なのよ。普段はこんなの生えてないんだけど」 「そ、そういえば、小さい頃に一緒にお風呂入った時はそんなものは……」 「興奮した時に出てくるのよ」 「そ、そ、そうなんだ」 「うん」 「それじゃ、私、もう出るね。このこと、絶対みんなには内緒にしておくから」 すたこらさっさと出ていこうとする栞だが、その手を掴んで引き戻されてしまった。 「えぅ、背中を流して欲しいの?」 「なんでお風呂で興奮してたと思う?」 「それは、その、あれで、その」 普段は、姉とは違った雰囲気の落ち着きを持っている栞だが、しどろもどろになってい る。 「湯船につかって栞のことを考えてたの。そうしたらこんなに……」 香里がねっとりとした猫撫で声を出しながら、胸に掌を滑らせた。 「お、お姉ちゃん、離して、お願い」 「姉妹なんだから恥ずかしがることないでしょ?」 さっきの栞の台詞を返して香里は意地悪っぽく笑う。手は、もう胸から移動して下方を 探っていた。 「だ、駄目……」 香里の手が「そこ」に到達すると、栞は小声でいった。小動物が鳴いているみたいだと 香里は思った。 「可愛いわよ、栞」 両手を首に回して抱き締める。指で髪を梳くとなんの抵抗も無く指が通る。細い黒い美 しい髪の毛。 「離して、お願い、離して」 栞がガタガタと震えていた。腹に当たっている。異物感。顔を下に向けると先端が見え る。何かとてつもなく恐ろしいものに見えた。もう一度声を出そうとする。お願いしよう とする。離して、お願い。お姉ちゃんにお願いする。優しいお姉ちゃんだからきっと少し 意地悪してるだけ、止めてくれる。 「ん……」 声が出ない。口を塞がれた。口で口を塞がれた。それがキスなのだと認識するのに少し 時間がかかった。だから、気付いた時には姉の舌が何度も歯茎を舐めていた。 キス。お姉ちゃんとキスした。 嫌がるよりも陶然とする自分に栞は気付かない。 「栞!」 「お、お姉ちゃん、あ……」 美坂(ふたなり) × 栞ちゃん 「……」 相沢祐一であります。 今は授業中、退屈な授業だ。先生にゃすまないけど、退屈なもんは退屈なんだ。だから 俺は退屈しのぎができないものかと後ろの席に座っている友人に声をかけたのさ。 「へい、北川、なんか面白いことないかい」 そうしたら奴はいったのさ。 「よし、ちょっと待ってろ。俺も丁度退屈してたところさ」 そして、レポート用紙になんか書き始めて、二十分ほどしたら俺んとこに回ってきたの が上記(↑)のこいつというわけさ。 「……」 なに考えてんだ、この馬鹿……。 親指なんか立てて会心の笑みを浮かべやがって。 とりあえず、俺の斜め後ろに鎮座まします美坂香里さんにこいつを見せちゃなんねえ。 っていうか、あの馬鹿、よく本人の隣でこんなもん書くよな……。 ん? なんだ? 前の席の男が興味深そうに俺の手元のレポート用紙を覗き込んでくる。小声で「なんだ よそれ、見せろよ」といっている。俺が後ろの北川を見ると。大きく頷いている。 ……本当に見せていいんだな。知らねえぞ、俺は。 これが香里の目に触れたが最後ってことわかってんのかな、こいつは。 「ねえ、相沢君」 「んー?」 数日後、香里が声をかけてきた。今は自習中。しかし、一応授業時間中に香里が話しか けてくるとは珍しい。 「なんだか、みんなのあたしを見る目が最近おかしいのよ」 「そうなのか」 「うん、それに……その、名雪に聞いたんだけど……」 その名雪は熟睡中だ。自習などという時間を与えられてこいつが寝ないわけがない。 「なんか、あたしが、その、栞のことを狙ってる、とかいう噂が流れてるらしいのよ」 困った表情という、非常にレアな顔で香里がいった。 「もちろん栞のことは愛してるけど、それはあくまで妹としてであって……」 「んー」 「相沢君の目から見て、あたしの栞への接し方が、そういうふうに見える?」 「ああ、いや、それは……んー、俺は別にそんなことは思わないけど」 えーっと、自分、心当たりがあります。 「なにか心当たり無い?」 「無いっす」 いや、もう、ホントごめんなさい。我が身が何より可愛い男です。 「北川君は……」 香里が、北川にも意見を聞こうとして隣に目をやると、北川は一心不乱にレポート用紙 にペンを走らせている。 「勉強してるわ……珍しいこともあるものね」 少し微笑んだ。 すいません、香里さん。そいつは只今、噂の元を製作中です。 「お姉ちゃん、それじゃ名雪さんとは……」 「本当に馬鹿な子ね。名雪とはただの友達、何度もそういったじゃない」 「ご、ごめんなさい。私、お姉ちゃんのこと……」 栞の瞳に涙が浮き、一筋の流れとなって頬を伝っていく。 「栞、いいのよ。あたしも冗談で名雪と抱き合ったり、ちょっと迂闊だったわ」 「お姉ちゃん」 自分の胸に飛び込んできた最愛の妹を、香里の両腕が優しく包み込んだ。 「……」 さて、数学の授業中に後ろから回ってきた「愛と欲望の大河ロマン『姉妹愛』」(だっ て、そう書いてあるんだもんよお)の第四話「恋敵は名雪さん!?」を読み終えたところ だ。 冗談で抱き合っていた香里と名雪の仲を誤解して傷付いた栞の心も癒されて、ハッピー エンドだ。 ……あの馬鹿、とうとう新たな犠牲者を出しやがったな。そりゃ、名雪は香里とじゃれ 合ったりしてるけどさあ。 「おい、早くよこせ」 前の席から催促が来る。あんな奴だが一応恋人なので、こういうもんを出回らせたくは 無いんだが、仕方が無い。 「おい、北川」 「んー?」 一仕事終えた充実感に浸っている北川に、俺は声をかける。 「お前な、もうあれ俺に見せないでいいぞ」 「え、そうか、んー、相沢のために書き始めたのになあ」 残念そうに表情を曇らせる北川。 「っていうか、もう止めろって、香里に見られたらことだぞ」 「なんか妙に一部に好評で止められないんだよ、それに……ああ、いや、うん、とにかく もっと書いてくれって人がいてな」」 「それじゃ、勝手に書く分にはかまわないけど、俺には見せるな」 渡されるとついつい読んでしまう俺も俺なんだけど。 「くれぐれも香里に見られるなよ」 まあ、この馬鹿のことだから絶対その内バレるだろう。 「一応、俺は止めたからな」 「うん」 これだけは念を押しておかなければいけない。なんかここ最近、保身のことばっか考え るようになってしまった。 それからしばらく経った。相変わらず北川は時々凄まじい形相でペンを走らせていたが、 俺は努めて無視していた。 「北川君、なにを熱心に書いてるのかしらね?」 そろそろ香里が疑問を持ち始めたようだ。だが、北川が馬鹿なことをすれば即座に鉄拳 制裁する香里さんといえど、その北川に対しても、隠し事などを無理に知ろうとはしない。 でもまあ、一度疑問を持たれたら時間の問題だろう。あの馬鹿のことだから「なに書いて るの?」と聞かれれば「美坂も出てるんだぜ〜」とかいいながら平然と見せる可能性すら ある。 「ぬうっ! おいさ! よいしょ!」 必要以上に気合を入れて北川が執筆している。あんまり声出すんじゃねえ。香里が興味 を持ったらどうすんだ。 「はぁ、どうせ馬鹿なことしてるんでしょうね」 香里は溜息をついて教科書とノートに目を落とす。なんとかなったか。 ちなみに、その時は英語の授業。気の弱いことでは学園随一の担当教師は学園一の問題 児に関わり合いたくないらしく、その奇声は聞かなかったことにしているらしい。 「相沢君」 数日後、香里が声をかけてきた。 「相沢君は名雪と付き合ってるのよね?」 念を押すように尋ねてくる。俺は頷いた。まあ、一応、そうなんだと思う。 「栞のことはどう思ってるのかしら?」 なんか雲行きがおかしくなってきたな。どう答えたらいいものやら。 「そりゃあれだ。香里の妹だし、可愛い後輩だし、これからも仲良くしたいなあと思って るけど……」 「あたしは、栞のことも愛してるけど、名雪のことも大切な友達だと思ってるわ」 「はあ」 「だから、あれよ。二股とかかけたら承知しないからね」 「えっ」 なんだそりゃ。なんでそこで「二股」とかいう魅惑的……ああ、いや、背徳的な言葉が 出てくるんだ。俺、栞に対してはそれらしい素振りしたこと無いはずなんだが。 「なんだよ、それは」 「ちょっと、そういう噂を聞いたから」 「噂って、お前」 「えーっと、一応念のために聞いてみたのよ。相沢君を信じてないわけじゃないのよ」 そういって、香里は微笑んだ。 ……絶対信じてねえな。 しかし、そんな噂になってるんだとしたらこれから栞への接し方には気をつけないとな。 なにしろ、香里は栞が絡むと理性ふっ飛ぶことがあるからなあ。 またまたしばらく経ったのだが……。 「はあ」 香里さんが盛大に溜息をつく。 「どうしたんだ?」 「噂がどんどん広まってるらしいんだよ」 と、いったのは名雪だ。 「噂って、あの、香里が栞を狙ってどうのこうのっていう?」 「うん。それで香里が学校で栞ちゃんとあんまりベタベタできなくってピリピリしてるん だよ。わたしは、そんな噂気にしないでいいよっていったんだけど」 「うーん、噂ってのは一度広まると手に負えないとこがあるからな」 「で、その……」 名雪がいいにくそうに何かをいおうとしている。一体なんだ。 「噂といえば、えっとね、わたしはそんなの信じてないんだよ」 ……大体予想ついた。 「俺がお前と栞と二股かけてる、ってか?」 名雪がコクリと頷く。上目遣いで心配そうに、それを肯定されたらどうしようというよ うな弱々しい表情だ。こういう顔されるとこっちも弱い。 「馬鹿、そんな噂信じるなよ」 俺はいってやる。 「本当に?」 「何度もいわすな、そんなの」 「うん」 嬉しそうに笑った。 なんか、いい雰囲気だ。なんだかんだで、こいつは本当に俺のことが好きなんだな。 たまには、優しくしてやるか。 「名雪……」 「祐一……」 「失礼する」 せっかくいい雰囲気だったのだが、俺と名雪は後ろから聞こえてきたその声に気を引か れてしまった。 「美坂さん。ちょっと話があるのだが」 最近、生徒会長と本校二番目の問題児を兼ねている久瀬が香里の前に立っていた。 「小耳に挟んだのだが、本校の風紀上、忠告の必要ありと思ったのでね」 まさか……いうつもりか? 「おい、久瀬。止めとけって」 俺は思わず久瀬を止める。 「いや、いわねばならぬこともある」 こいつは香里さんから発されている魔闘気じみたオーラに気付かんのか。 「なにかしら?」 香里さんがにっこりと笑う。こういう状況でこの笑顔は大抵機嫌がよろしくない。 「百歩譲って同性愛は仕方無いにしてもその上に近親相姦はどうかと思」 加減というものを御存知な香里さんのかるーい裏拳で久瀬は扉をぶち破って退場した。 さすがに、香里さんが全力で殴るのは北川だけだ。 「祐一」 「相沢君」 昼休み。食後に一睡していると名雪と香里に起こされた。 「なんだよ」 「祐一……えっとね、わたしはただの噂だとわかってるんだけどね、香里がね」 「なんなんだ、一体」 「相沢君、あなた、名雪を本命にキープしながら栞を弄んで、栞には『名雪とは遊び』と かいって妊娠させた挙句に自分の子じゃないといって逃げてるって本当なの?」 「本当なわけあるかあ!」 俺は思わず怒鳴っていた。 「う、噂だよー、祐一」 いくら噂といっても我慢の限界があらぁな。 「どこのどいつだ、そんなくっだらねえ噂流したのは!」 「それじゃあ、違うというのね」 「違うもなにも、そんな甲斐性あるかよ」 「……なんか、そういう甲斐性がありそうなのよ、相沢君は」 さいですか。 「そんなら、栞に聞いてみればいいじゃないか」 「そ、そんなこと聞けるわけないじゃない。もし、本当じゃなかったら栞に『お姉ちゃん 何いってるの。不潔です』とかいわれて嫌われるかもしれないじゃない。そうなったらど うするのよ。ええ、どうするのよ!」 襟首掴まれてブンブン振られる。相変わらず栞のことになると取り乱し方が尋常ではな い。 「香里、止めてよ。祐一が死んじゃうよ」 「栞に、栞に嫌われたらあたしはー」 「香里、落ちつくんだ!」 荒療治が必要だと思った俺は右手を振った。 香里の頬を叩こうとした俺の右手は香里の左手に捌かれて明後日の方向に逸れた。 「なにすんのよ!」 香里が右手で俺の頭髪をむんずと掴み、机に俺の頭を叩きつける。 「香里、止めてよ。やるならボディにしてよ」 くそ、そもそも食後に昼寝してただけなのに、なんで俺がこげな目に遭わにゃならんと ですか。 元はといえば、わけのわからん噂のせいで……。 「あ!」 そうだそうだ。噂といえば。 「北川は……」 俺が北川の席を見るといない。 「北川君なら、今日は屋上で食べるっていって、パン持って行っちゃったよ」 「そうか」 それは好都合ってもんだ。 俺は、北川の机の中を漁り始める。 「わ、祐一。駄目だよ、そんなことしたら」 「北川君の机に何かあるの?」 俺の態度から察したのか、冷静さを取り戻した香里が、俺が机上に出していくノートや ら教科書やらを見ている。 やがて、俺は一冊のファイルを発見した。 開いて見る。これだ。 きっちりとファイリングされている。変なとこで几帳面な奴だ。 「相沢君。愛と欲望の大河ロマン『姉妹愛』ってなにかしら?」 それには答えず、俺は自分が未読の部分を読んでみる。 「祐一さん。酷いです」 「ん、何がだよ」 栞に対して、祐一は冷然と返した。数日前までの優しさなどそこには欠片も無かった。 「私が妊娠したっていったら、急に避け出して」 「そんなこといわれてもなあ。俺には名雪っていうれっきとした彼女がいるわけだしさ。 変な誤解受けたくねえんだよ」 「そ、そんな、名雪さんとは遊びだって……」 「あん? 何いってんだよ。俺の本命は名雪だぜ。それに、お前の腹の中にいるのも、俺 の子ってわけじゃないだろ。香里の子じゃないのか」 「そ、そんなこと……」 「知ってるんだぜ。香里の秘密も、お前が香里とそういう関係だってこともな」 「う、嘘……」 「お前、妙なこといって騒いだら、全部バラしてやるからな」 うな垂れた栞に皮肉な笑みを投げかけて祐一は去っていった。 「ごめん、なさい」 栞は、その場にいない姉に向けて呟く。 祐一の甘い言葉に騙されて、姉を裏切っていた自分。そして、その男に裏切られた自分 が惨めで情けなくてならなかった。 そして、その時になって浮かぶのは、お姉ちゃんに抱かれたい、という思いだ。栞は自 己嫌悪に陥っていた。今更、どの面を下げて姉に会えるというのか。 「えうっ」 嗚咽が漏れた。自分のそれを、どこか遠くのもののように栞は聞いていた。 「栞」 嗚咽に混じって聞こえたそれがなんなのか理解できぬままに栞は顔を上げた。 「栞」 姉が、手を広げていた。思わず後ずさった。その両手に抱擁される資格など無い。 「栞、おいで」 しかし、優しい声が栞を絡め取った。気付いた時には抱き締められていた。 「栞、大好きよ」 「お姉……ちゃん……」 「きぃたぁがぁわぁぁぁぁぁぁ!」 叫んだ。 「ぶっ殺す!」 久しぶりにキレました。 俺はファイルを投げ出すと教室を出て屋上に向かう。 階段を駆け上がっていくと、目的地の直前で満ち足りた顔をした舞と荷物を抱えた佐祐 理さんに出くわす。 「祐一。ちょっと遅い」 「もう少し早く来てくださればお昼ご一緒できたんですけど」 「あー、今日はそうじゃなくて……北川見なかったか?」 「さっき屋上に上がっていった。ウインナーを上げたら喜んでた」 「あははー、可愛らしい女の子と一緒でしたよー。凄く仲がよさそうで」 「ぐあ、女連れか」 一瞬怯む、だがしかし、その程度で退くわけにはいかん。なにしろこっちはキレちょる。 もう教室に戻るという二人を見送ってから、俺は屋上に突入した。 奴はいた。佐祐理さんのいった通り、女の子と一緒だ。 「それで、あの後はどうしようか?」 「そこはもう、お姉ちゃんの無限の愛に包まれて過去の過ちなんか無かったことになるん ですっ!」 「相沢はどうする? なんか勢いで出して勢いで動かしちゃったけど」 「鬼畜ですからね。無事に済ませたら読者が納得しません。死んでもらいましょう」 「それしかないかな。……そもそもこれ、あいつのために書いてたはずなんだけど」 「細かいことは気にしないでいいです。今はもう、私のために書いてるようなものじゃな いですか」 「まあ、うん、栞ちゃんがどんどんストーリー考えてくれるから書いてこれた、っていう のもあるしね」 「それじゃあ、祐一さんは名も知れぬ女の人に刺されて死ぬということでどうでしょう。 そこは突き放した描写の方が効果が出ると思います」 「うん」 俺は、突撃した。 「栞ぃぃぃ! おどれかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」 「よう、相沢」 「こんにちわ」 ブチギレて突入してきたのにあっさり流されました。ここでめげてはいかん。 「こんにちわじゃねえ! いつのまにあの愛と欲望の大河ロマンは栞が原案になっとんじ ゃい!」 「第四話からだな」 つーと、あの例の名雪の回か。 「栞ちゃんから、三角関係にした方がドラマチックだっていわれてな」 「もう、ドラマでは三角四角は当たり前ですから」 「そうだな。ドラマでは……って、違ぁぁぁう!」 「どうしたんだ相沢。さっきから」 「血管切れますよ」 「てめえら、落ち着きまくりやがって、思わず流れに身を任せちまいそうだったじゃねえ か、そのドラマみたいな一角に俺を加えやがって!」 「なんだ。お前。続き見たのか」 「見たわい」 「あれ? 祐一さん、もしかして怒ってるんですか?」 「怒るわい!」 「祐一さん。それはよくないですよ。虚構と現実の区別をつけないのは危険な兆候です。 誘拐とかで捕まりますよ。けっこうシャレにならないんですから」 「お前らの作った虚構が噂になってしっかり現実に影響を与えとるんじゃ」 「そのようですね。まあ、私も色々考えた甲斐があったというものです」 こ、このアイス中毒患者は……。 「あたしも読んだわ」 その時、顔をぴくぴく痙攣させながら香里さんがやってきた。自分に向けられたもので はないけど、笑顔が怖いっす。 「お、お姉ちゃん」 さすがに栞が動揺する。病を克服して怖いもん知らずな栞だが、やはりこの姉が怒った 時だけは話は別らしい。 「なんだ美坂、読んだのか」 北川だけが別世界にいるかのようにニコニコしていた。 「完結してから見せるつもりだったんだけど」 見せるつもりだったのか、この馬鹿。 香里さんがつかつかと歩み寄っていく。 「ん?」 北川は、柔らかい微笑でそれを迎えた。馬鹿だが、ナチュラルにこういう笑顔ができる のが変な年下人気の原因かもしれない。 「あんたはあ!」 いきなり、右ストレートだった。 「どうしていつも、そう罪悪感ゼロで!」 距離つめて左フック。さらにつめて右の肘が入った。 「そんないい笑顔ができるのよ!」 襟首を掴んでふっ飛ばないように固定して殴りまくる。 「馬鹿っ!」 何十発も殴りつけた後に蹴りを入れる。北川は物凄い勢いでフェンスに激突するまで転 がっていった。 「今日は美坂と五十三回も触れ合えた。幸せ……」 その言葉を最後に北川はガックリと倒れた。毎日毎日シバかれてんのに嫌な顔一つしな いのはあれを「触れ合い」と思っているせいらしい。 「それじゃ……次は栞ね」 香里さんがゆっくりと振り向く。 「えうっ」 栞が俺を見るが……救いを求められても困る。 「お、お姉ちゃん。落ち着いて」 「落ち着いているわよ」 「ゆ、祐一さん」 「……えーっと、すまんけど、今回は栞が悪いと思う」 俺も被害にあったとはいえ、香里さんがここまで怒ってなかったら助け舟を出してると ころなんだが、さきほどの北川へのラッシュが網膜に焼き付いていたりするわけでして、 まあ、そのー、愛する妹を殺しゃしねえだろ、と。 「えうー」 「……」 既に半泣きの栞に無言で詰め寄る香里さん。……今のうちに距離とっとこう。 「さあ、栞。覚悟はいい?」 「……むう」 栞の表情が変わった。怯えてオドオドしていたのに、妙に目が座っていた。 「ちょっとした冗談じゃないですか」 栞が香里を睨みつけていた。 「なんで、そこまで怒られないといけないんですか」 「そ、それは、そのせいで変な噂が」 香里さんが心なしか押されてる。栞にあんな目で見られたことが無いのかもしれない。 「なぁーにいってるんですかー! 噂がどうしたっていうんですかー! そんなのどうっ てことないですよ!」 え、ちょっと待ってください。栞さん。 「そんなの、噂に踊らされる人が悪いんですっ!」 逆ギレですか!? 「そんなことで怒るお姉ちゃんなんて嫌いですっ!」 うわ、いっちゃった。 「し、栞……」 「なんですかー! なんか文句あるんですかー!」 「えう」 えう、って。香里さん、なんか今、すっげえダメージ受けたっぽい。 「大体お姉ちゃんは、生真面目というか、融通きかないとこあるから」 「……」 「だからいちいち噂に踊らされたりするんです。そんなのどぉーんと構えておけばいいん です」 「……」 「いいですか。わかったらこれからは……」 「栞っ!」 香里さんが、これまた目を座らせて叫ぶ。もしかして……。 「なんであたしがそこまでいわれないといけないのよ!」 キレました。 「えうっ、そ、そんなこというお姉ちゃん嫌いです!」 「あたしだって、そんなこという栞なんて嫌いだもん!」 いや、香里さん、「だもん」って、あんた。 「お姉ちゃんなんて大嫌い!」 「あたしだって栞なんて大大嫌いよ!」 「だったら私は大大大嫌い!」 「それならあたしは大大大大嫌いよ!」 「うーーー」 「むーーー」 今、僕の学校の屋上で凄いもんが勃発してます。 とりあえず俺にできるのは、階段室のドアの影からこちらをうかがっている名雪を引き 摺りこんで仲間に入れることだ。 「わ、祐一。離してよー」 「うるせえ、おとなしくしやがれ」 こっちだって必死なのだ。今は一人でも仲間が欲しい。ぐあ、肘が顔に入った。 そうこうしているうちに美坂姉妹の方は一触即発の事態になっていた。 「もう、お姉ちゃん怒ったからね!」 と、香里さんが堂に入り過ぎなファイティングポーズでジリジリと距離を詰めれば、 「うぅ、不用意に手を出せばどうなるかわかってますね〜」 栞は、チキチキチキとカッターナイフの刃を出してこれを迎え撃つ。持ち歩くな、って 何度もいってんのにちっとも聞きゃしねえ。 「祐一。二人を止めてよ〜」 「お前が止めろ。お前が」 「わたし、殴られるのも刺されるのも嫌だよ〜」 「俺だって嫌だ」 「待て、二人とも!」 俺と名雪がお互いを人身御供にしようと押し合っていると、フェンス際で転がっていた 北川が立ち上がって香里と栞の間に割って入った。 「喧嘩は止めるんだ」 おお、こいつの存在を忘れていた。殴られても刺されても大丈夫なこの男がいたんだ。 喧嘩の原因についてのこいつの関連はこの際脇に置いておくからなんとかしてくれ。 「喧嘩の原因はなんなんだ? 俺にいってみろ」 「あんたのせいでしょ!」 香里さんの放った右のアッパーに北川が舞い上がる。飛びに飛んだ北川は放物線を描い て俺と名雪の目の前に落下した。 「うう、俺が原因だったのか」 この馬鹿、素で忘れてやがったな。 「栞〜、今日という今日は許さないからね」 「えうぅぅぅぅぅ」 いくらカッターナイフを持ったところで香里さんが本気で怒って迫ってきたら栞にはど うにもできない。 「待て、美坂!」 だが、そこに再び北川が立ち上がった。 「邪魔しないで。散々殴ったし、おとなしく見てればもう北川君への制裁はしないわ」 「き、北川さーん」 栞が泣きそうな顔で北川を見る。 「美坂。栞ちゃんの気持ちをわかってやってくれ」 珍しく真面目顔の北川。 「栞ちゃん……君は、美坂に叱ってもらいたかったんだろう?」 北川の意外な言葉に香里が見開いた目を向ける。 「美坂は優しい。特に栞ちゃんにはな。でも、栞ちゃんは、それが不満だったんだ」 「そ、そうだったの」 香里がさすがにショックを隠しきれない表情でいった。……当の栞はキョトンとしてる んだが。 「栞ちゃん。自分にも本心を隠してわざと美坂を怒らせるようなことは止めるんだ。そん なの、悲し過ぎるじゃないか」 「し、栞。そうなの? 北川君のいったこと本当なの?」 栞は、相変わらずキョトンとしていたが、やがて、 「ふっ……」 と、小さな笑みを見せた。 「さすがです。北川さん」 観念したような顔をしていた。 「私の本心を察するとは……」 ……嘘つくな。 「さあ、お姉ちゃん。思う存分私を叱ってください」 「え、いや、でも」 「殴られても蹴られてもかまいません。もう、覚悟はできてますから」 そういって微笑むと、そっと両手を合わせた。 「私は、それを望んでいたんですから……」 「し、栞……」 「さあ、やってください。恨んだりはしません」 香里が震える手を上げた。 「お姉ちゃん、馬鹿な妹でごめんね」 今にもそれを落とそうとした瞬間を見澄ましたかのような絶妙のタイミングで栞は呟い た。 「あー、えーっと……めっ!」 こつん。 と、香里の拳骨が栞の頭に触れた。 「栞! あたしこそ馬鹿なお姉ちゃんでごめんね!」 香里が栞を抱き締める。 「お姉ちゃん。大好き」 「あたしだって、大好きよ」 「……アイスが食べたいな」 「ええ、帰りに食べて行きましょう。あたしが奢ってあげるからね」 「わぁーい、お姉ちゃん、大好き♪」 結局、ダダ甘だった。 「いやぁ、よかったなあ。結局誰も傷付かないで済んで」 一番重傷のお前がそういうならそれでいいや。とりあえず胸まで染めている鼻血を拭い たほうがいいぞ。 翌日の昼休み。みんなで飯を食った後に校内をぶらつきに行っていた北川が真っ青な顔 で帰ってきた。 「どうしたの?」 名雪が心配そうに声をかける。 「嘘だ。嘘だ。嘘だ」 呟きながら北川が頭を抱えている。はっきりいって気味が悪いことこの上ない。 「なんなんだよ」 「相沢。嘘だといってくれ」 「ああ、嘘だよ」 「なにぃ! 証拠はあるのかコノヤロウ!」 厄介な奴だなぁ……。 「どーしたんだよ」 「いや、本人に直接聞いてみよう。それが一番確実だ。ああ、でも、本当だったらどうし よう。いやいや、もし本当だったとしても俺の気持ちに変わりは無い」 見事に俺を無視してブツブツ呟いている。 「あ、香里。おかえりなさーい」 飯食った後に部室に行っていた香里が帰ってきて、名雪がそれを迎える。 「ただいま」 それに答えつつ席に座る香里。 「……なによ」 横に真剣な表情の北川が立っているのに気付いて訝しげにそれを見る。 「美坂。俺の質問に答えてくれないか」 「……いいけど。なによ」 「俺のいったことが馬鹿なことだと思ったら、遠慮無く俺を殴ってくれていい」 「そりゃまあ、あんまり馬鹿なこといったらいわれるまでもなく殴るけど」 「美坂! 興奮したらチンポが生え」 殴られた。そりゃもう遠慮無く。 うちの学校は、昼休みには音楽が流されている。クラシックだったり、流行りの曲だっ たりと色々だ。 その日、学食で飯を食べた俺たちは教室に戻ってから、それを何気なく聞きながら午後 の授業を前にした休息にそれぞれ浸っていた。 予鈴の少し前にその放送は終わる。 みんな、予鈴よりもその放送終了によって午後の授業開始が近いことを実感するものだ。 さてと、次の授業はなんだったっけかな。 時間割がさっぱりわからない。教科書は、全教科のそれが机の中に入っているから問題 は無い。 「おおい、北川」 ここは北川に聞こう。まあ、奴も俺と同様、とてつもなく机が重たい奴だから時間割な んて知らないんだが、俺がそうやって聞くと「俺もわからん」という答えが返ってきて香 里が呆れながらも教えてくれる、というのがパターンになっている。 「次の時間は……」 後に続ける言葉を俺は思わず飲みこんだ。北川が、いつになく真剣な顔をしていたから だ。 「どうしたんだ?」 俺は思わず尋ねた。尋ねた瞬間に気づいた。こいつはこういう顔してる時ほど馬鹿なこ とを言い出すと。 「つまんねえ」 北川の表情が歪んでいた。 「なにが?」 「昼の放送だ。なんだあれは!」 机を叩く。……お前の机はみかん箱なんだから叩くと凹むぞ。 「音楽流してるだけじゃねえか。あんなもん、アホでもできる」 いや、その……まあ、その通りではあるんだよなぁ。実際、放送委員会というものがあ って、それが昼休みの放送を担当しているのだが、そいつらは昼休みに放送室に集まって 音楽CDをプレーヤーにかけて飯食って駄弁ってるだけらしいし。 「あんなもん、CDウォークマン持ってきて勝手に好きなの聞いてりゃいいじゃねえか。 ナメんじゃねえぞ!」 今日はやたらと沸点が低い北川が叫びつつ立ち上がる。 「ちょっと久瀬んとこ行ってくる!」 一体何をしに行くのかと問う声には答えずに、北川は出ていった。ちなみに、久瀬のク ラスは隣にあるので、 「久瀬ぇ、出てこい、おらあ!」 とかいう声が丸聞こえだったりする。 俺たちは暗黙のうちに「隣のクラスのことだしねー」という視線を交し合って遠い世界 のこととして扱うことにした。 午後の授業が始まって三十分ぐらいすると北川が帰ってきた。 「すいません。隣で久瀬とディスカッションしてました」 悪びれることなく言い放つ。まあ、それはわかる。その隣のクラスが授業にならない熱 いディスカッションはこっちに筒抜けだったから。 教師はけっこうあからさまに、授業が終わるまで向こうにいればよかったのに、と表情 で語りつつも、北川に着席を促した。 授業が終わると俺は北川に声をかける。 筒抜けだったディスカッションにより、久瀬との間にどういう話がついたのかはおおよ そ予測はできていた。 久瀬は、 「よろしい! それでは君に週に一日昼の放送を任せようではないか! 存分に傾いてみ せよ!」 と、いっていたのだ。 「おい、どうする気だ」 「へっへー、早速今日から動くからな。来週を楽しみにしててくれ」 具体的なことは漏らさずに北川は意気揚々と教室を出ていった。……6時限目はサボる 気だな……。 「……うちの会長にも困ったものね」 香里さんの溜息混じりの声にクラス一同、大いに同感であった。 そしてその日がやってきた。昼休み、既に北川は席にいない。 「真に文化的なお昼の一時をみんなに提供するために準備をしないといけないんです。コ ノヤロウ」 といって4時限目の授業に出ないで、放送室に向かっていたのだ。 昼休み開始から五分が放送開始の時間だ。 ピー、ガガ。とでもいえばいいのか、回線が完全に繋がってない時特有のノイズがスピ ーカーから流れ出てきた。 「おい、繋がったん?」 「ああ、ちょっと待て。完全でない」 「で、これ、どーすんの、久瀬ちゃん」 「どーするもなにも、マイクに向かって普通に喋ればいい」 「おう、そうか」 ノイズ混じりの声が聞こえてくる。どうやら久瀬が一緒らしい。 生徒会長が一緒なら安心だ。なんて思う人間は一人もいるはずもなく、最近着実にトラ ブルを治める側から引き起こす側へと移行しつつある久瀬が、北川を止めるどころかやば い方へやばい方へとけしかけそうで凄まじく不安だ。 少しすると耳障りなノイズも消えて音楽が流れ始めた。 ぱぱぱぱやーぱぱぱ、ぱーやっぱぱー♪ 「はーい、ウェルカムハウスへようこそ。北川潤でーす!」 狂ってやがる。 「本日からこの番組のパーソナリティーを勤めさせてもらうことになったぞ」 いや、本日からもなにも、いや、番組って、いや、もうあれですよ。 「俺のことはチンポがちょっとでかい北川と覚えてくれよな」 もはや生徒会長公認の電波ジャックといっていい、すんげえ変な言い方だけど。 「それじゃ当番組のアシスタントを紹介するぜ。一年の美坂栞ちゃんだ」 「アシスタントの美坂栞です。お願いしまーす」 すとん、と、俺の前に座ってる人の頭が下がった。 「わ、わ、香里。わたしのお弁当に顔を突っ込んだら駄目だよ〜」 名雪が泣きそうな顔で抗議する。 「あ、ごめん、名雪」 慌てて香里が名雪の弁当から顔を上げる。 「ど、どうして栞が……」 香里は戸惑った表情でいった。……あの、香里さん、鼻の頭に海苔が付いてるっす。 「それじゃ早速ガンガンいくぞ」 「この番組は生徒会の提供によってお送りします」 その間にも着々と番組は進行していく。 しっかし……気付くとつるんでるよな、この二人。 「それじゃ、まずは人生相談のコーナー! いってみようか、栞ちゃん」 「はい、生徒会室前に設置された目安箱の中から適当にそれっぽいものを探し出して人生 相談にでっち上げてしまったコーナーです」 身も蓋も無いことを……。 目安箱か……そういえば久瀬がこないだ設置してたな。 「それでは行きます。僕には今、好きな人がいるんですが全然僕の方を振り向いてくれま せん。どうしたらいいんでしょうか」 誰だよ、そんなの目安箱に入れたのは、まあ、ふざけてのことだろうけど。 「うーん、それは切実な悩みだねえ」 「青春してますねー」 「実は俺にも今、好きな人がいるんだけど」 「はい」 「俺はいいたい。振り向いてくれません、っていうのはどういうことだ」 「ふむ」 「そんな受け身じゃ、いつまで経っても駄目だぞ。振り向いてくれるのを待っていても駄 目だ。でも、強引に振り向かせるのも、相手の意思を尊重していないみたいで俺は嫌だな」 ……彼は一応相手の意思を尊重しているつもりのようだ。 尊重されているはずの香里さんはえらい不機嫌そうなんだが。 「振り向いてくれないのなら、お前がその子の前に出るんだ」 「おおー」 「その子の振り向く先々に先回りしてやれ!」 「なるほど、では北川さん。まとめをお願いします」 「美坂ぁ、好きだー!」 「えう、いきなりそんなこといわれても照れちゃいますよー」 「ああ、違う違う」 「ふふふ、お約束のボケですよ」 「でも、俺、栞ちゃんも好きだぞ」 「わ、ホントですか」 「美坂の次ぐらいに好きだな」 「わーい」 ……全校に流れとることわかってんのか、こいつら。 ばき。 香里さんの持っていた箸が折れました。 「栞に手を出したら殺す……」 久しぶりにリアルな香里さんの殺意に触れて教室中が零下に叩きこまれたような状態に なる。 「えー、親愛なる生徒諸君。会長の久瀬である。これからも我が生徒会は生徒の自治組織 であるという誇りを胸に日々是邁進していく所存である」 そんな教室の空気をよそにスピーカーからは久瀬の声が聞こえてくる。なんか知らんが 生徒会提供ということなのでこれは「CM」といったところか。 「それではそろそろお時間が近付いてきました。最後に一曲聞いてください。『鳥の詩』 です」 栞がいうと、ピアノの音が奏でられ始める。 「消える飛行機雲〜♪ 僕たちは見送った〜♪」 聞き覚えのある声がそれに被さるように聞こえてくる。 「眩しくて逃げた〜♪ いつだって弱くてぇ〜♪ いつ〜ま〜で〜も〜♪」 ……。 すいません、僕たち最早「お前が歌うんかい!」というツッコミをするような余力が残 っておりません。 「栞になんか変なことさせたらタダじゃ済まさないわ」 香里さんがブツブツ呟いている中、北川の熱唱は続いた。 「真っ直ぐに〜♪ 僕たちはあるよ〜うに〜♪ わたつみの〜よ〜うな〜強さを守れ〜る よ〜♪ きぃ〜っと〜〜〜♪」 「はい、『鳥の詩』でした。北川さん、おつかれさまでした」 「おう、栞ちゃんも今日は頑張ったな」 「それでは、今日はこの辺でお別れです」 「また来週な」 「それじゃあ、また来週お会いしましょう。えーっと……バイバイ、お兄ちゃん」 ……あれですよ。 ほら、あれです。 なんていうんでしょうか。 男どもがみんな視線を交し合ったりしてるわけですよ。香里さんのこと気にしながらも。 で、みんなの視線がいってるわけですよ。 北川、ええ仕事しよるわ、お兄ちゃんですよ、お兄ちゃん。 って……。 めきゃ。 とかいう北川の机がみかん箱になってから久しく聞いていなかった音をクラスの皆が聞 いたのはその時です。 「あ……」 そちらを見れば、しまった、という顔で真っ二つに割れた机を見ている香里さんがいた のでした。 「美坂さん」 久瀬が、珍しく神妙にしている香里さんを見下ろしながら首を横に振った。 あの後、すぐに生徒会役員が来たのだが当事者が美坂香里であることを知って「我々の 判断に余る」ということで急遽久瀬が呼ばれたのだ。ちなみに、北川と栞は只今「反省会」 の最中らしい。 「君は、我が校に予備の机など無いということはわかっているはずだな」 「……わかってるわよ」 神妙……ではあるんだが、どこかに不機嫌さを漂わせている。 「それでは、そういうことで。ああ、美坂さん、鼻の頭に海苔がついているぞ」 そういって、久瀬が教室を出ていった。 「……」 おっそろしい顔をしながら鼻の頭を拭う香里さん。 かける言葉が見つからないっす。 そういうわけで、うちの学年首席の机がみかん箱になりました。 さて……。 重苦しい空気の中で時は過ぎていく。ここに奴が帰ってきたらどうなるのか。 しかし、その時は確実にやってくる。 「美坂の美は〜、美しいの美〜♪」 作った本人以外は恥ずかしくってとても歌えやしない美坂香里讃歌(作詞作曲・北川潤) が聞こえてきた。どうやらあいつが戻ってきたようだ。 「たっだいまー」 にこやかにいって、席に着く。 「さぁーて、次の授業はなんだったっけ? 美……」 北川が隣の香里に話しかけようとした言葉を止めた。 「んー」 自分の机(みかん箱)を見る。 「おー」 香里の机(みかん箱)を見る。 「へっへー」 「なにかしら? 北川君」 うわ、睨んでる睨んでる。めっさ睨んではるで。 「仲間仲間」 香里の右拳が北川の後頭部を刈っていた。 前に倒れて机(みかん箱)にめり込んだ北川だが、次の瞬間には後ろにふっ飛んでいた。 これぞ、先ほど久瀬が香里の新しい机(みかん箱)を持ってきたついでに北川の机(み かん箱)に仕掛けていった新兵器、強力なバネである。 それまでは綿を詰めて衝撃を吸収していたが、さらにそこにバネを仕込んで衝撃を逆方 向に逃がすという試みである。 その強力なバネによって後方に飛んだ北川の後頭部が壁に激突して穴を開ける。 北川潤監査役(久瀬に無理矢理任命された)の俺としては、このことは報告しておかな いといけないな。 俺は、久瀬に渡された報告書に書きこんだ。 バネ、駄目っす。 終 次回予告 警察の威信をかけた「無線飲食撲滅作戦」が始まった。商店街の タイヤキ屋にも警察が現れ、あゆの身辺にも捜査の手が及ぶ。 心配する祐一たち。やがて、タイヤキ屋の親父が警察に連行され てしまう。 だが、親父はあゆの名を秘して固く口を閉ざすのであった。 あゆを幸せにすることはあっても、あゆによって幸せにされるこ とのなかった男の姿を通し、男の好日とは何かを問う。 鋭意製作中。