第106話 眠 電話が、鳴っていた。 「あー、もう、何してんのよ!」 理奈がドアの蝶番を破壊する勢いでドアを開ける。 「いるんじゃないの! 出なさいよ!」 受話器を取ってから、気付いた。 「あ、どうも、はい、そうです理奈です。お久しぶりです……はい、その……今、手を離 せない状況でして……お急ぎでなかったら後日……はい、よろしいですか? どうも、す いません」 受話器を置いた。 電話機を机の上から来客用のテーブルへ持っていき、自らはソファーに腰を下ろす。 「理奈さん……」 弥生が、入り口に立っていた。 「兄さんに用?」 「いえ、ただ様子を見に……今日は朝から篭もりきりのようなので」 「兄さんなら寝てるわよ」 「……のようですね」 英二は、椅子に深く腰をかけてまま眠りこけていた。 「理奈さんは、何を?」 「電話番」 「そのようなこと私が……と、いいたいところですが……」 「いいの、弥生さんも忙しいでしょう。私、今日はこれから暇だから」 どうせ英二のところへ直通の電話をかけてくる人間など限られている。 「それでは……申し訳ありませんが、お願いいたします。直通ではなく社長に取り次ぎを したいという電話は極力後にしていただくようにいっておきますから」 「お願いします」 弥生が、ドアを閉めた。 理奈がソファーに腰を下ろしドラマの台本を開いて読み始める。 と、電話が鳴った。 鳴った瞬間には理奈が受話器を取っていた。 「はい……あ、はい、そうです」 緒方英二は安らかな寝息を立てて眠っていた。 「あ、こんなところにいたよ」 瑠璃子が嬉しそうにいった。 屋上。 祐介と瑠璃子が以前からよく来る場所であった。 珍しく……というよりおそらく初めて授業をサボっている兄を、瑠璃子が見付けたのだ。 「寝てる」 拓也が、屋上のど真ん中に寝ていた。 「だから……今日は休めばいいっていったのに」 「お兄ちゃん、真面目なんだよ」 サボって寝ているのが真面目なのであろうか。という疑問は湧いたが祐介は黙っていた。 安らかに眠っている。 そんな兄の寝顔を見るのは久しぶりだった。 「眠くなってきちゃったよ」 「あ、瑠璃子さん……」 瑠璃子が、拓也の横に寝転がった。 「ちょっと、もう休み時間が終わるよ」 「サボっちゃえばいいんだよ」 「いや、いいんだよって……」 「長瀬ちゃんも寝ればいいんだよ」 「え、でも……」 「ほら、隣においでよ」 「うん」 なんで学校の屋上で恋人と、いつ自分の関節を破壊するかわからない恋人の兄と三人で 川の字を作らねばならないのか。 「寝れないよ……」 だが、瑠璃子は既に眠っていた。 そして――。 月島拓也は安らかな寝息を立てて眠っていた。 電車に揺られていた。 墓参りの帰りだ。 人の少ない車内で二人で並んで座っていた。 「今日はありがとうございました」 静香がいった。 「別に礼をいわれることじゃない」 柳川がいった。 あの人もきっと喜んでいるだろう。 こいつと一緒に墓参りに行ったら、あいつは喜んでくれるだろうか。 「柳川さん?」 「今度知人の墓参りに行く」 「はい」 「付き合ってくれんか? 少し、遠いが」 「はい、お付き合いします」 「そうか」 「はい」 ごとん、と揺れた。 「なんだか……眠くなってきますね」 「ああ」 「あの……眠るから着いたら起こしていただけませんか?」 「駄目だ。おれも寝ようと思っていた」 「んー」 「乗り過ごしたら乗り過ごしたでいいだろう」 「んー、はい」 静香が目を閉じる。 柳川の目がゆっくりと閉じていった。 近い内に、会いに行くぞ――。 貴之。 柳川裕也は安らかな寝息を立てて眠っていた 「こんにっちわー!」 「志保、そんなに大きい声出さないでも聞こえるよ」 苦笑しながら雅史がいった。 藤田家の玄関だ。 「はーい」 二階から声がして、トントンと軽い音を立てながらあかりが階段を下りてくる。 「死にかけの馬鹿の面倒御苦労!」 「もう……志保ったら」 「お見舞い持ってきたよ」 雅史がケーキの箱を掲げて見せる。 「あたしも半分出したんだかんね」 「うん、ありがとう。浩之ちゃんも喜ぶよ」 「それにしてもさー、明日学校に行ったら大変よ、あんた」 「え?」 「冷やかされるわよー」 「え? え?」 「だって、ヒロが昨日の疲れで休むっていうのはいいけどさ……あかりは……」 「そ、それは」 「なんだって先生に馬鹿正直に本当のこといったのよー。適当に仮病使っておけばよかっ たのにー」 「でも……」 「先生が大笑いして、職員室に広まって、すーぐうちらの学年に広まったわよ。あ、ちな みにあたしが広めたんじゃないからね」 あかりが恥ずかしそうに下を向く。 「『浩之ちゃんの面倒を見たいんです。休ませてください。お願いしますっ!』だもんね」 志保がケラケラと笑った。 「そ、そんなふうにいってないよ、ちょっと志保大袈裟だよ」 「まあまあ、浩之はどうしてるの?」 「さっき、眠ったところ」 「なーんだ。この話教えてやろうかと思ったのに」 「志保〜」 「まあいいわ、せめて馬鹿面だけでも拝んで行くわ」 二階の部屋のドアを少し開けて志保と雅史は浩之の顔を覗いた。 「気持ちよさそうに寝ているね」 「幸せそうな顔しちゃって、馬鹿の分際で幸せ者なのよねー」 二人が、ドアと壁の隙間から頭を抜くとあかりがドアを閉めた。 閉める間際に、 「お休みなさい、浩之ちゃん」 藤田浩之は安らかな寝息を立てて眠っていた 「よーし、行くよ」 「うん」 「うんっ」 「耕一は疲れてるから、あんまり騒いだりしちゃ駄目だよ」 「うん」 「千鶴お姉ちゃんもいってたもんね」 実をいうと、昨晩病院に行って検査を受け家に帰ることを許された耕一のところに三人 で泊り込んで付きっきりで面倒を見よう、ということになっていたのだが、梓の携帯が震 え、千鶴と話したところ、 「耕一さんは疲れているんだから明日にしなさい」 とのお達しであった。 「絶対によ」 とまであの長女にいい切られては、ちょっとそれに逆らう気にはなれず、こうして一日 明けてやってきたというわけである。 耕一と一緒にいれる時間が減ってしまったのは残念だが、千鶴に比べれば随分とマシだ。 彼女は今回、どうしても外せない仕事が入ってしまって隆山に残っているのだから。 「耕一っ!」 「おはようございます」 「おはよう、お兄ちゃん」 気安さから、ノックも無しに耕一の部屋に入った三人は凍りついた。 「あら……ノックぐらいしなさいよ」 「あ……」 「耕一さん、湿布取替えましょうか?」 「は、はい、お願いします」 「あ……あ……」 「どうしたの、あなたたち、入りなさい」 「あんた……何やってんだー!」 梓が怒鳴るのも当然であった。 布団を敷いて横になった耕一の枕元に千鶴がちゃっかり座っているのだ。 「何って……耕一さんのお世話」 にっこり。 「仕事があるっていってたじゃないか」 「予定より早く終わったから……昨日の夕方に新幹線でちょちょい、と」 「じゃ、昨日の夜の電話……」 「東京駅からかけてましたー、てへっ」 「てへっ、じゃなーい!」 「何よー、そんなに怒らなくてもいいじゃないの」 「これが怒らずにいられるか。一体いつからここにいるんだよ」 「んー、昨日の晩から」 「ゆ、許さん」 上の二人の一触即発(いつものことではある)の間に楓と初音が耕一の様子を窺ってい た。 「やあ」 「大丈夫そうですね」 「よかったぁ」 それぞれ胸を撫で下ろした二人の頭に耕一が優しく触れる。 「ちょっと、寝かせてもらうよ」 「はい、よく休んでください」 「お休みなさい、お兄ちゃん」 耕一の目が閉じた。 「だってだってだって、私だけ仕事で残って寂しかったんだもん。一人で食事するの寂し かったんだもん」 「ええい、ぶりっ子すんな!」 うるさいが、心地よい空気に包まれたまま耕一は寝入った。 柏木耕一は安らかな寝息を立てて眠っていた。 今は皆、疲れ果てて眠っていた。 終