城を焼く








「焼いてしまえ」
 席上、幾度と無くその言葉が口から出そうになった。
 無論、出さないで黙っている。狂人扱いされるだけでなく、斬って捨てられる恐れすら
あった。
「やはり、弾薬を揃える必要がありまする」
「堀をもう一重廻らせば我が部署は万全になり申す」
「恩顧の諸大名への呼びかけは続けましょう」
 皆、それぞれそれなりに必死になって意見を述べているが、どれもカラカラと空回りす
る空論に聞こえてしょうがない。
 頃は、最早開戦必至の形勢であり、軍議に熱も入るのは当然であろう。皆であれやこれ
やと思うところを述べ合っているさまはそれなりに勇壮でもあり、活気もある。
 いわゆる「大坂の陣」が始まりつつある。父豊臣秀吉が築いた大坂城に東軍を迎え撃た
んとする豊臣秀頼の軍配を預かって、かの徳川家康と一戦するという役目を彼は負ってい
た。
 ――勝てるか、そんなもん。
 軍議の席にどっしりと腰を下ろしながら、一片の疑問も無く思っていた。なるほど大坂
城という堅固な要塞は大いに恃みとするに足るが、その他に恃みが無いのも寒々しいまで
の事実であった。
「信州の真田が御味方するとのこと」
「土佐の長曾我部も、心を決めているようじゃ」
「それは心強し」
 かつて関ヶ原で敗れて落魄した流人たちが幾人か、檄に応じて入城する約束をよこして
いた。それは確かに明るい材料ではあるが、これもまた逆にいえば、れっきとした国持ち
のいわば現役大名は一人も応じなかったということである。
 そういった悪条件もさることながら、それ以上にまずいのが総大将である。桶狭間合戦
の前哨戦から始まって関ヶ原まで、幾多の戦歴を誇る家康に対して自分というのが、なん
ともまずい。
 ――勝てんわな。
 そもそも、そんな大した者であったら、
 ――わしが天下の主じゃったな。
 彼は十分にその可能性のある位置にいたし、機会だってあった。まあ、全ては己の無器
量という現実の前には過去の夢に過ぎない。
 男は、織田信雄。出家して法号を常真。織田信長の実子として、かつては天下に手が届
きかけていた男である。

 眠い。
 信雄は、あらかた意見が出尽くして少し静寂が訪れると間髪入れずに眠気を覚えて目を
しばたいた。皆、自分を注視している。総大将としてなにか意見を述べるのを待っている
かのようだが、わざわざ大将たる者が指図するべき案件などは無かった。
「もっともな意見ばかりじゃ。修理どの、できるだけよきように」
 なので、遠慮無く、大野修理亮治長に丸投げした。皆、それでも特に不満そうな気配は
見られない。信雄に軍事的な才覚は期待していないのであろう。誰も、信雄が家康を向こ
うに回して戦えるとは思っていない。
 信雄にはそれほどの実績が無いし、愚人とすら見る向きもあった。
 軍議といっても、堂々としたそれではない。ごく一握りの者が集まっての会合という性
質のものだ。それに出席していない者にはまだ信雄が総大将になったことは知らされてい
ない。
 既に齢五十を過ぎ、そろそろ還暦を迎えようとしている。最早信雄も自分に幻想を持つ
年齢でもないし、それを砕かれる経験もふんだんに積んでしまった。織田家の御曹子とし
て尊崇される地位にいた信雄の変転は本能寺の変より始まるが、その時が最も信雄が天下
に近くなった瞬間であった。信長の死は着々と進行していた天下統一事業にとっては凶事
に他ならなかったが、その際に嫡子の信忠までもが死んでしまったことにより、織田信雄
という位置にしてみれば、織田家当主への道が開かれたことになった。
 条件も悪くなかった。信雄は領地の伊勢松島にいた。四国征伐のために大坂にいたが、
信長の死により直属ではない兵たちが離散して光秀と決戦するには兵力が少なかった兄弟
の織田信孝や、兵を連れずに本国から離れていた家康や、領地にいたが、その領地が遠い
北国であった柴田勝家や、織田家最大の軍団を率いていたが毛利家の軍勢と対峙していた
秀吉に比べてよほど有利な位置にいたのである。その上、織田家の御曹子なのだから、即
座に父の仇を討つと檄を飛ばして周辺の織田家所属の軍団を集めて明智光秀を強襲して勝
利すれば、そのまま信雄が織田家の当主になって統一事業を推進していくことは可能であ
った。しかし、そこで行けなかったのが、ケチのつき始めであった。後方の伊賀で土着の
地侍が不穏な動きを見せているという情報も入っていたし、なにより相手が悪かった。明
智光秀といえば、当時まだ若く自分に自惚れることができた信雄でも、分に過ぎたる強敵
と素直に認めねばならないほどに、その能力を世上に評価された男であった。
 ――勝てん。
 と思ってまごまごしているうちに、秀吉が中国戦線から神速で駆けてきて信長の仇討を
宣言した。そこかしこに織田家の小部隊がおり、彼らはこの事態に情勢の変化を見守って
いた。彼らは小部隊ゆえに下手に動けなかった。そこへ大部隊を擁する秀吉がやってきて、
主君の弔い合戦という非常に聞こえのいい大儀を呼号しつつ光秀軍に決戦を挑んだ。
 この時、おそらく秀吉はこの正義の戦に従いたい者は来い、従わぬという不義の輩はい
らぬ、というほどの気持ちでいたであろう。その秀吉の味方に参じる織田家軍団が相次ぎ、
遂に山崎において光秀と決戦しこれに勝利した。
 その後、柴田勝家と組んだ信孝へ対抗するために秀吉と結んだが、後から考えれば、ま
んまと秀吉に利用されたも同然だった。
 ――本当に秀吉は、これからずっと自分を立てていってくれるのか。
 危機感を覚えた信雄は家康と組んで秀吉に挑むが、家康が優位に戦いを進めていたとい
うのに秀吉に篭絡されてしまい、和議を結んでしまった。秀吉は信忠嫡男の三法師こそ織
田家正統としてこれを擁立していたが、まだ幼少なので叔父の信雄に後見していただきた
い、と持ちかけたのである。それにより、家康から「織田家のために信雄を立てて秀吉を
討つ」という大義名分――無論これにより織田家の諸軍団の糾合を期待することができる
――を奪い、さらには幼児による傀儡政治との批判も逸らすことができた。
 この和議、同盟者の家康への断りも無く締結されたものであり、信雄の自分勝手さ、無
能さの現われとして評判が悪い。確かに誉められた行為ではないが、もっと誉められぬの
は、その後に秀吉が足場固めをするのを許し、とうとう領地を没収されてしまったことで
あろう。
 さすがに気が引けたのか、後に秀吉は御伽衆にして、捨扶持を与えて食うには困らぬよ
うに計らったが、関ヶ原合戦において鮮明でない態度を見せたため、それも家康に取り上
げられてしまった。
 御伽衆として元々大坂城に出入りしていたのでそのまま居候となり、秀頼の血縁――秀
頼の祖母お市の方が信雄の叔母――だったためにそれなりには敬意を払われていたが、家
康との間が不穏になり戦となると総大将に担ぎ出されてしまった。
 我ながら、人を見る目が無い連中だと思わざるを得ない。自分なんかを戴いては勝てる
ものも勝てなくなるであろう、と。信雄自身がそう思う人選であった。
 軍議はひとまず終わり、屋敷に引き上げた信雄は、寝酒を舐めながら天下を二分する大
戦の軍配というものの重みについて実感しようとしたが、どうにも、寝転がりながら片手
で傾ける酒杯程度の重さにしか感じられぬのであった。
 要するに、それを本気で振るおうとは思っていないからであろう、そんなことをすれば
軍配の方に振り回されて倒れるに決まっている。
 それを、本気で振ろうとした時のことは、今でも鮮やかに思い出せる。
「父と兄の仇を討つ」
 そう叫んで実際に持っていた軍配を振るったのだ。その復仇の念に嘘は無かったが、そ
の弔い合戦の向こうに、織田家の当主、ひいては天下の主になった自分を見ていたのも事
実であった。
 だが、伊賀の不穏な動きという情報もあって、信雄の動きは鈍った。まだ兵力も心許な
いのでしばらく伊賀豪族どもを威圧できる位置に在陣しながら兵が集まるのを待とう。そ
れほどにまずい案だとは、今でも信雄は思っていない。ただ、秀吉がやってくるのが速過
ぎた。
 あの時、遮二無二進軍していれば、とは、幾度と無く夢想した。伊賀の不穏というのも
結局は信長の死による織田体制の瓦解、脆弱化を見越してのことだ。そんなものは打ち捨
てて光秀に攻めかかっていれば、例え負けたとしても仇へ一番槍をつけた名誉は得られた
だろうし、秀吉が光秀を破れたのは「わしが光秀の力を削いでおいたからだ」といって秀
吉に仇討の功を独占させることもなかったろう。
 そのことを思うと、悔しくてしょうがなかったのは以前のことで、もうこの歳になって
みると達観した思いだ。それよりも、安土城の記憶の方がなお鮮烈に残っている。
 本能寺の変後、安土城は一時明智秀満に占拠されていたが、光秀の敗亡によって秀満は
城を捨てたため空き城になっていた。
 信雄はそこに入った。落ちていく秀満が焼き払うことを心配していたが、それはなく、
安土城は健在であった。
 安土城は、単なる要塞機能という存在ではなかった。信長が意趣をこらして作り上げた
統治のシンボルのような存在だった。
 それが焼失しなかったことに信雄は安堵しつつ、城内を見て回った。新鮮な気持ちであ
った。信長のことが思い出された。
「この城はわしの城だ」
 そういっていたのをはっきりと思い出せた。その言葉には、単なる所有物であるという
意味を越えて自分が作った自分の作品である、という響きがあった。
「わし以外には使えまい」
 そうもいっていた。父というには恐ろしすぎる存在であったが、後から思えば、それで
も一応息子に対してはほんの時々は砕けた態度で会話をすることもあった。到底こちらが
砕けることができずに、会話、と呼べるようなものではなかったかもしれないが。
「わし以外の者がもしこの城を取ったとして」
 と、信長はいった。
「ただ、住むだけであろう」
 その後に、何もいわなかったが、その時、信長は「そんなことになるぐらいならこの城
を潰してしまおう」と、思っていたのだ、と信雄は思った。思ったからこそ、その後の行
動になった。
「焼け」
 それは命令などというつもりではなく、独り言であった。城内を回っているうちに、不
意にその言葉が口から出た。だが、忠実な小姓がしっかりとその声を拾って念を押してき
た。
「焼くのでございますか? この城を」
 そういわれて、自分が何を呟いたのか気付いたようなものだ。焼くのか? といわれれ
ば信雄は戦慄せざるを得ない。そんなことをすれば信長が怒るのではないか。既に死んだ
父の怒りを――霊魂が怒るとかそういったイメージを通さずに直接に感じた。それほどに
信雄はあの父を恐れていた。
 しかし、父は死んだのだ、と思い返せば、それは大きな声となって信雄の心中に響き渡
る。
 焼け、焼け、という自分の声と、小姓の声。それが信雄の中で信長の声となるのに時間
はかからなかった。
 無論、せっかくの城であるから残して利用すべきであるという思案は信雄も持っていた。
仇討の功こそ秀吉に取られてしまったが、ならばこのままこの城に居座って「我こそ後継
者であるから父が築いたこの城には自分が入る」と宣言するのも手であった。世人は、信
長が安土城に注いだ熱意を知っている。信長の後継者を名乗るのに、安土城を居城にして
いるというのは強い印象を与えるであろう。
 しかし、見て回れば回るほど、この城がわからない。わからないというのは、結局信雄
も信長のいう「使えぬ」人間だということだ。それでも一応、考えるには考えたが、自分
がこの城をどうするか、ということで出た結論は一つだった。
「ただ、住むだけじゃな」
 それ以外の使いようが思いつかなかった。
 信雄は、家臣に命じて安土城を焼き払わせた。

「お、少し寝たか」
 酒杯を持ちながら、まどろんだらしい。
 夢を見た。こういう心理状態で見る夢は決まっている、炎に包まれる安土城を眺める自
分だ。自分を、自分が眺めている夢だ。
 歳をとり、後から考えると、せっかく信長の次男に産まれたということを活かせず仕舞
いで信雄の前半生は後悔ばかりだ。しかし、あの安土城焼払いだけは後悔していない。
 あまりよからぬ信雄の評判の大きな一因になっている事柄であるし、それを自分でもわ
かっているが、その気持ちには変わりが無い。
 ――結局わしがやったことで歴史に残るのは、あれではないか。
 と思う。それも、いいようには残るまい。愚人の愚人たる所以として残るであろう。
 所詮大した者ではないのだから、しょうがあるまい。そもそも、信長の息子としてしか
歴史に残らないような男なのだ。
 大した者ではないのだから、信長が造った城を焼くことしかできなかった。それでも、
他の人間があの城にふんぞり返って「ただ住む」ことを阻止したのだと思えば、信雄には
十分な慰めになった。
 眠ったのは少しであったが、目が冴えてきた。脳も目を覚ましたか、思考も明瞭になっ
てくる。そうなると、過去のことよりも現在、未来のことが浮かんでくる。
「さて、どうしたものか」
 以前より、いつか東の徳川と西の豊臣が戦になるであろうとは思っていたし、その時は
上手く身を処して、出切るならばまた大名に戻りたいと最後の山っ気を出してもいたのだ
が、全く予想していなかったことに、豊臣方の総大将として秀頼から軍配を預けられるこ
とになってしまった。
 信雄にまだ多少の自惚れがあれば「それほど買ってくれるか」と喜んでいささかの発奮
をするところだったろうが、既述のごとく却ってそんなことで大丈夫かと心配してやりた
くなってくる。
 それも、豊臣につくのならばそれでよいかもしれぬ。むしろ、己の非才なるをわかって
いる今こそ、我を張らずに無難にやれるかもしれぬ。しかし、相手が悪い。無難程度では
家康には勝てぬのは明らかであり、そもそも、信雄は家康につこうと算段していた。
 皮肉なことに、家康と戦う相手に自分を選んだことで豊臣の負けが見えた。おそらく、
信長の息子という出自や、かつて内大臣であったことを買ったのだろうが、そんなものが
役に立つ時と場合ではないのは、嫌というほどにわかっている。
「逃げるか」
 やはり、それしかないか。先程の内々の軍議にいながらも薄っすらとそのことは考えて
いた。
 今日の朝起きた時は、このようなことになるとは思っていなかった。午後、呼び出しが
あり、登城すると、この話を持ちかけられた。断ってもよかったが、つい受けてしまった。
断れば、その場で斬られるのではないか、とその時は思ったのだ。しかし、後から考えれ
ば、秀頼の母親である淀殿が不機嫌になるぐらいで斬られはしなかったのではないか、と
も思う。
 とにかく、受けてしまった。受けるにあたってはそれなりに頼もしげなことも社交辞令
でいってしまった。
 ――総大将として振る舞いつつ内通するか。
 実のところ、それが一番家康を利するであろう。しかし、それではいかにも卑怯である
し危険も大きい。内通は当たり前の時代であるが限度はある。
 そうなると、やはり逃げてしまうのが一番よいのではないか。既に名など落ちている。
卑怯者といわれるよりも、やはりどうしようもない人よ、といわれる方がマシであろう。
「よし、逃げよう」
 それも早いほどよい。
 正式に信雄の総大将任命が発表されれば、この男はそれまでのただの居候ではなくなる。
身の回りの世話をする小者が幾人かいるだけの信雄の威儀を整えるためと護衛のために、
人数がつけられるだろう。そうなると、信雄を護るつもりのその連中がそのまま監視にな
って逃げるのに甚だ困難を伴うようになる。
「今だ」
 準備ができていない、という不安はあるにせよ、小者どもにあらかじめ計画を漏らして
準備を進めればそこから漏れるかもしれぬ。
 信雄は、寝ようとしていた小者を叩き起こした。理由は述べずに今からこの城を退去す
る、という目的のみを告げ、落ち着いたら金を与える、と約束した。
 信雄は、小者たちを督励して荷造りを手早く済ませて屋敷を退去した。かつて勢威盛ん
であった頃に収拾した茶器什器の類が残っており、荷としてかさばらず売れば大金になる
それらのみを持ち、他の物は置き捨てていった。
 逃げていく先は京都である。そこに京都所司代の板倉勝重がいる。家康の信頼篤いこの
男に話を通しておけば間違いは無いといわれ、京大坂近辺で家康に誼を通じたいと思って
いる者たちはひとえにこの勝重を頼りにしている。
「妙なことになった」
 信雄は着座するなりいった。
 勝重はこの来訪者を丁重に迎えたが、心を騒がせている様子は無い。既述のように家康
の京大坂の窓口である勝重の元には、この時期、注進が絶えなかった。やれ、大坂城の備
えがどうだ、あそこが手薄だ、誰と誰が不仲だ、と、歓心を買うための情報が無数に入っ
てくる。正規の内通者は無論潜り込ませてあるが、やかましいのは不正規の、いわば忠義
面して進んで情報を報せてくる者である。大御所さまへよしなに、と決まったようにいう
のだが、はっきりいってわざわざ家康の耳に入れる必要のある情報など滅多に無い。
 大坂城から来た者が、息せき切って駆けこんでくるということは慣れっこになっている
のだ。
 しかし、信雄ほどの身分の者が駆けこんできた、ということにはさすがにやや驚き、い
われるまでもなく「これは妙な」とは思っていた。
「いやさ、既にお耳に入っているとは思うが、豊臣はいよいよ兵乱を起こすつもりですぞ」
 当然耳に入ってる以前の話である。勝重は、一瞬だけ何か意外にも信雄が耳寄りな情報
を持ってきたのでは、と思ったことを後悔した。同時に、信雄という男へ世評が貼り付け
ている「不覚者」という札も思い出した。
「で、妙なことでござる」
「ほう、妙な
 どうせ大したことではあるまい、と勝重は適当に相槌を打った。豊臣が戦支度をしてい
るなどという情報が何の値打ちも無いことはさすがに信雄にもわかっているであろう。そ
れへ付加価値をつけるため「妙なこと」とやらを知恵をしぼって発見したか捏造したかし
て、それを披露しようとしているのであろうが、どちらにせよ大したことではあるまい。
「わしに、その軍配を取れといわれましてな、わしが豊臣方の総大将ということになった」
 それは……と、意表を衝かれてしまい勝重も後に言葉が続かなかった。
「そこでわしは快諾した。このまま朽ち果て何の役にも立てぬと思うておった老骨に、な
んと勿体無いお役目、もう一花咲かせてくれましょうぞ、とな」
「はあ、それでその御身がなぜここに」
 徳川の重臣である京都所司代のところに駆けこんできている場合ではなかろう。
「わしは降りた」
 あっさりと信雄はいった。謹厳実直で滅多に顔を変えぬ勝重だが、さすがに呆れた色に
なっている。
「わしが大御所さまと戦して勝てるわけがなかろう」
 その通りですな、とは思っていてもいうのを憚った勝重の無言に畳み掛けるように信雄
は言葉を継いでいく。
「わしが最後に多勢を動かしたのは小牧・長久手の戦であるが、いや、あれも今から思え
ば赤面の至り、せっかく助太刀してくださった大御所さまの足を引っ張るばかりであった。
敵であった秀吉も、わしとしては憎い男じゃったが、さすがに父に見出されただけあって
傑物でしたな。わしなどはあの二人の間であっちへこっちへ、と、いや、これは思い出す
のも恥ずかしい」
 勝重は、所々にその通りですな、といいたいのを堪えつつ、信雄の話を聞いていた。
「そういうわけで、逃げてきた」
 なんでもないことのように言ってのけた信雄に、勝重はなんといったものかわからぬの
か、そうですか、と芸の無い返事をした。
 ――意外に不覚のみの人ではない。
 不覚なところは多々あるのであろうが、今の信雄は、その不覚な己を客観的に見ている、
と勝重は観測した。
「大御所さまへはお話しておきまする」
 要するに、この男の用件は、総大将の任を引き受け、勇ましいことなんかも吹いてしま
ったことについて、それは自分の真意ではなくその場をしのぐ方便であり、家康に逆らう
気なんぞ毛ほどもない、ということを家康に伝えておきたいのであろう。そう推察した勝
重は、はっきりと請け負った。別になんの支障もあることではない。
「いやぁ、すまぬな」
 信雄は鷹揚に笑った。
「大御所さまに会えぬものかな、昔語りなどしたい」
 さて、それは、と勝重は言葉を濁した。家康は日々大坂攻めの諸事に心を砕いており、
そのような暇があるとも思えなかった。
 一応話を通しておいたが、総大将云々については真意は了解していると伝えておくよう
にといわれたが、会うことについては何の返事も無かった。

 やがて、家康が召集した各大名が全国から大坂に向けて集まってきた。その数は二十万
を超えていた。
 大坂城を攻囲しつつ、城内へ調略を仕掛け切り崩しを謀っていた家康は多忙であったが、
細かい作業は謀臣たちに任せてあり、ふと間隙が生じ暇ができることもある。
 そんな時を見計らったかのように、信雄が来た。
 家康は腰の低い織田信長の息子を迎えて機嫌よさそうに談笑した。話はことごとく他愛
無い懐旧談であったが、かつて自分は信長の盟友であり、秀吉は信長の家来であった、と
いうことを語る時に、貴殿も同じ気持ちであろう、といいたげな様子が見えた。
 家康にしてみれば、そもそも秀吉などは同盟者の家来であり、同格かそれ以下の存在で
ある。しかし、これが信長死後に天下を得てしまい、止む無く一度膝を屈したせいであた
かも主従のように扱われ、この度の大坂攻めに際しても、亡き主の子を攻めている、とい
う声は憚りながらもある。
「ああ、思い出しますなあ」
 信雄はこの家康の言葉に乗った。覚えている限りの太閤豊臣秀吉のかつての姿を語った。
自然、それは秀吉が卑しい身分で使い走りをしていたようなことにも触れ、家康もそれに
嬉々として同調した。
「それがあのような城を建てて……」
 何気なくいった時、信雄の脳裏に、今正に天下の大軍に攻め立てられている大坂城を初
めて見た時のことが思い起こされた。
 その巨大さに圧倒されるばかりであった、というのが正直なところである。内心では秀
吉を織田の天下を簒奪した不届き者と見て、あの四方八方にへいこらしていた猿が天下一
の巨城を築いたなどとは片腹痛し、と思っていた信雄だったが、やはり大した男なのだ、
自分などが天下を争おうとしたのが間違いだったのだ、と、いわば精神の牙城すら突き崩
されそうな衝撃だった。
 なぁに、無闇にでかいだけよ。安土城には及ばぬ。
 努めてそう思おうとしたが、安土城に感じた神秘性は少ない代わりに、大坂城はただた
だ圧倒的なスケールで周囲を睥睨していた。
 その睥睨されている風景の中にいる自分は、おそらく、あの巨城から見ればぽつんとし
たごま粒のような存在であろうと思えた。
 ――あれを作ったのがあの猿か。
 ――今や、あの猿より卑小なのだ、俺は。
 かつて天下を席巻した織田信長が息子、ということで辛うじて心中では胸を張っていた
つもりの信雄には認めたくない事柄だったが、認めねばならなかった。にこやかな猿がや
ってきて親しげに、かつては許されなかったような馴れ馴れしい口調で話しかけてきた時、
怒るよりも、意外にわしは好かれておるのではないか、と、ほっとしてしまった。そこへ
猿が、自慢げに大坂城の普請ぶりを話してきた。信雄は当然のようにいちいち驚いて見せ
たりしていた。
 ――思えば、何をどう繕ったところで、あの時、わしは秀吉に負けたのだ。
「大した男でござった」
 そういった時、信雄の目は、家康を見ていなかった。
「いや、無論、わしの立場から何もいいたくないといえば嘘になる。しかし、やはり、大
した男であったことは認めざるを得ませぬな」
 家康は、やたらと熱っぽく秀吉のことを誉め始めた信雄に不快になるよりも興味深そう
な顔をした。信雄は、この場で無理に秀吉のことを誉める必要は無い。むしろ、織田家を
乗っ取ったことへの恨み言の一つも吐いて、ついでに、その子が今、父の盟友であった貴
方に討たれるのも巡り合わせでございますな、とでもおもねってもよい。家康は話の流れ
から、そんなことを言い出すのではないかと思っていた。それが、突如、秀吉のことを称
え始めた。
「然るに秀頼は、その事跡を継ぐこともかなわず。あたら天下一の城を残されておきなが
ら、それを砕かれんとしておる」
 信雄の言葉は、依然として熱っぽい。ここで、秀吉を誉めていた流れから一転、秀頼の
不器量をあげつらうのは、遠回しに家康におもねることにもなったが、信雄はそんなつも
りで話をしているのではないし、家康にもそのことは分かった。
「こうなる前に、いっそ自らの手で城を焼き灰燼に帰せしめるべきであった。我に偉大な
る父を継ぐ資格無し、このような城は手に余る、と。そしてかつての父との誼を頼って大
御所さまへ身を預ければ、禄は少なくとも生き長らえることができたであろうに」
 一気に話し終えて、信雄は押し黙った。我ながら、何を熱く語っておるのか、と思わな
いでもなかった。
「いや、くだらぬ話をいたしました」
 信雄は苦笑していって、辞去した。

 大坂城の運命については、人伝に聞いた。講和の際に外堀も内堀も埋められて再度の攻
撃に持ちこたえられず炎上したという。講和が成り、一時戦闘が止んだ時に見に行こうと
思えば行けぬこともなかったが、止めた。話を聞くだけでありありと想像できた。そして、
その想像だけで、信雄にはもう十分だった。
 ――無様な姿であったろうな。
 堀の埋められた城郭など、城郭ではない。それへ大軍が攻めかかったのだ。ろくに支え
ることもできなかっただろう。かくて、大坂城は燃えて炎になぶられて、焦げ臭い瓦礫の
山になったであろう。
 信雄の脳裏には、その有様が克明に想像できた。無様な落城であったに違いない。
 戦の後、家康から五万石の領土を与えられた。すぐに統治を息子に任せて、信雄は隠居
した。悠々自適な余生を送れるだろう。
 その余生がどの程度かはわからぬが、必ずや、また夢を見るだろう。実際に見た安土城
が燃える夢、そして、想像で作り上げた大坂城が燃える夢。
 できれば、安土の夢を見たいものだ、と信雄は思った。

                                    終



        新潮文庫から出ている秋山駿氏の「信長」に色々と影響
        を受けた。氏の信長観に全面的に賛同するものではない
        が、信長に対しての見方の多様性や、どうでもいいよう
        な他愛ない、いかにも素人臭いような疑問でも、一度感
        じたらそれを突き詰めて考えてみる、という信長だけに
        は止まらないものの考え方への影響は大きかった。
        この「信長」の終章に次の一文がある。

         あんな独創的な城は、信長でなければ使いこなせない、
         信長の死とともに無に帰すべきだと考えたのなら、信
         雄は孝行息子であろう。

        その見方自体には賛同しかねるところもある。それこそ
        秋山風にいえば「私はこれを疑う」だ。
        しかし、話としては面白いので小説という鉈を振るって
        荒削りに仕上げたのがこの作品である。ようするに、ま
        たやっちゃった、ということである。これからもやっち
        ゃうつもりである。
        
        やっちまったが、やりっ放しもなんなので、幾つか分か
        る限りで補足したい。
        まず、信雄が安土城を焼いた、というのには異説もある。
        でも、今回の小説では信雄がやっちゃった説を採用した。
        豊臣方の総大将になった、というのも確証は無い。ただ、
        世間にそういう噂が流れていたと書かれている史料は実
        在するようだ。根拠薄弱であるが採用した。
        おれに確固たる史観などは無い。




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